2013/06/22

No.90 フルベッキの業績 (致遠館は早稲田大学の源流・・・)

 平成25年6月1日のこと。「日本史探究スペシャル、ライバル達の光芒」というテレビ番組で「福沢対大隈」を見た(再放送)。この番組を私は初めて見たが教られること、考えさせられることが多々あった。そこにフルベッキの名前が出て来た。そうだ、この人の伝記なら少し読んだことがある。私は当時の読後感(原文)を探した。在った。それが本文の骨格である。  昭和10年(1935)、郷里の小学校に入学した私の、最初の遠足先が大隈さんの生家、大隈公園だった。質素な家屋ながら雰囲気のある庭付きの居宅で、今も脳裏に残っいる。 そんなことから大隈さんが郷里の先輩であり、早稲田大学を創立した偉人であることは子供の頃から知っていた。大正12年(1922)に亡くなった大隈さんは私が生まれる6年前までこの世の人であったと考えれば一層身近な人に思われる。  20年ほど前、大阪千里中央の図書館で「明治維新と、あるお雇い外国人、フルベッキの生涯」という本を見付けた。そこに「『早稲田大学百年史』は大隈によって設立された致遠館を早稲田大学の源流として高く評価している」とあった。  早稲田大学の前身、東京専門学校は明治15年(188...

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2012/09/28

No.89 安岡正篤先生の思い出…胆識について

あえて安岡先生と呼ばせて頂くが先生の業績、人脈に関する情報はインターネットの世界に満載されており、私が解説する必要はないが、大方の人が知っていると思われることは元号「平成」の名付け親ということ。年配の方は終戦時、昭和天皇自身によるラジオ放送の終戦の詔書発表(玉音放送)に加筆し原稿を完成させたことから皇室からも厚い信頼を受けた人ということではなかろうか。 大阪府出身の陽明学者・思想家・教育者。多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番として知られる人物であり、安岡先生を師と仰いだ政治家には「吉田茂」「池田勇人」「佐藤栄作」「福田赳夫」「大平正芳」など歴代の首相も名を連ねているという。 あえて私がここに取り上げた理由は先日私のブログ「硬骨ウント恍惚」(No.87)の中で一寸触れたが、私の父は我々子供にとって思い出になる「歌集(短歌)」を残してくれた。私はその歌集を以前入念に読んだところ、そこに二つの発見があった。   ①:第二芸術への言及   ②:安岡先生への私淑、思慕の歌 「一時、第二芸術論(ブログNo.10記載)が台頭した。尤も之は最初主として俳句に対する議論であったが短歌も一時之に...

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2012/09/27

No.88 ビジネスマンの父より息子への30通の手紙を読んで…伝えることの難しさ

キングスレイ・ウォード著「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」(城山三郎訳)を読んで私は複雑な気持ちになった。「とてもこんな立派な親父にはなれない」、「これは帝王学であり、誰彼に当てはまるというものではあるまい」。「人生のあり方、生き方をこのような形で伝えて果たして効果があるであろうか?」とも感じた。それでいて無視出来ないのである。 著者はカナダの化学会社社長。この本は、息子が有名私立大学に入学した17才から、息子に社長の椅子を譲るまでの20年間にわたり、手紙形式で書き送った処世訓30通である。 私はこの本を読みながら、親の生きざまや考え方を伝えることの難しさを痛感した。しかし要は悟らせることではないか?そうであれば日本には日本流のやり方もあるのではなかろうかと。 文明が「環境破壊」という伏兵の出現で足踏みさせられたとは言え、科学と技術に支えられた「文明は本質的には前進的、累進的であり、愚かな繰り返しはない」。それに比べると人間に関わる諸々のもの、思想、宗教、芸術、政治、経済、サービス、人生そのもの、総括的に文化一般は、周期的である。それでも総体としては緩やかな螺旋階段を漸進的に...

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2012/09/23

No.87 ブログ「硬骨ウント恍惚」を私は何故書き始めたか

「定年後の人生設計講座」の席で。「あなた達はもしかすればこれから20年、30年という長い老後を過ごすことになるかも知れない。何か打ち込む対象を持つことなしに生きられる時間ではありません」と講師の言葉は脅迫的であった。世の中、生涯現役という人もいようが大方のサラリーマンは、そうは行かない。この言葉は、趣味らしい趣味もなく仕事人間として生きてきた私を慌てさせる言葉だった。そこから今日の誕生日まで、24年が過ぎた。感無量である。 何か自分に合った趣味を探さねばなるまい。考えついたのが「書くこと」だった。とは言え、お金になる「物書き」ではない。子供の頃、「赤い鳥」*1を読み始めた頃から文章を書くことだけは好きで、苦にはならないが短歌や俳句を嗜むでもなく、小説らしいものを書いた経験もない。 熟考の末私は、二人の息子宛に近況報告を兼ねた、「一人新聞」の発行に決めた。記者・編集者・発行人を兼ねた仕事だ。当時はワープロ仕上げ、郵送である。共にサラリーマンの息子たちであれば、男同士で解ってくれる話題もある。忙しさにかまけて面倒を見てやれなかった息子たちだからこそ、いま格好の送り先だと一方的に思い込んで平...

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2012/09/17

No.86 「鈴木秀夫氏と森本哲郎氏の文明論を読んで」 文系著作物の優先性(権)は何を以て立証するか?

A紙夕刊「惜別」欄で、地理学者東京大学名誉教授、鈴木秀夫氏 の業績と人柄を読んだ。(平成23年2月11日死去、惜別は平成23年4月30日土曜日、3版6頁記載)先生は東京大学理学部地学科地理学専攻である。 私は先生の業績概要を読んだとき、評論家森本哲郎氏の業績と余りにも類似していることに驚くと共にこのようなことが存在することにも驚く。 理工系の学術論文であれば関連学会での研究発表日がその優先性を立証する。最近では関連学会などの電子版への登録日時がその優先性を立証するもののようでもある。東北大学の西澤工学部長、のち総長によれば、(以前は)優先性が問題になったとき「研究ノート(大学ノート)」のメモなど、時系列に記録、作成されたものが優先性を主張したという。しかし昨今では大学ノートなどの出番はなく、記録は全てパソコン内にある。その種のデータでは優先性を立証することは困難であろう。 「惜別」欄の担当記者は、森本哲郎氏の業績を知らなかったのではと一瞬疑ったが森本哲郎氏はもともとA紙にも在職の先輩であり、そのような理由ではあるまい。 文系著作物の、優先性(権)の評価が困難な理由は恐らく次の様な理由に...

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2012/08/24

No.85:パウル・ベッカー(*)のこと(大阪 大英博物館展を見て)

今年(2012)5月、吉田秀和さんが死去された。日本で初めて本格的なクラシック音楽批評の方法を確立した音楽評論家で、文化勲章受章者という。 誰かの追悼文の中に「パウル・ベッカー」という言葉が見られた。パウル・ベッカー著「西洋音楽史」(1924ー1925講演集)河上徹太郞訳は私の書架にあり、懐かしかった。私の読後感を披露すれば、まさに開眼であった。彼の評論は決して壮大な歴史感を踏まえた誇大な表現ではない。しかし「古代人と現代人の芸術的感性に大差はない」という一語に私は度肝を抜かれる思いであった。 具体的に年代を示してはいないが、少なくともギリシャ時代(四千年前位)まで遡って彼は言う。 「我々が、目の届く限り続いているポプラの長い並木の一端に立ったとき、一番、目近に立っている樹が最も大きく成長しており、遠方の樹程小さくなって、地平線のかなたにあるものはついには我々の目には一つの点に過ぎなくなる。 しかし実際その樹は小さいだろうか?そんなことはない。並木に沿って歩いて行ってみれば、あらゆる樹はそれぞれ違った個性を持って成長し、ある樹はたくましい幹を、ある樹は張り切った枝振りを持っていることが...

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2009/11/06

No.84 : 文化の日によせて

11月3日は文化の日であった。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば 「文化の日(ぶんかのひ)は、日本の国民の祝日の一つで、日付は11月3日である。国民の祝日に関する法律(以下「祝日法」)では『自由と平和を愛し、文化をすすめる』ことを趣旨としている」というが、「すすめる」とは曖昧な表現で感心しない。 この日皇居では文化勲章の授与式が行われる。また、この日を中心に、文化庁主催による芸術祭が開催される。… この日は晴天になる確率が高く、「晴れの特異日」として有名である。…とあった。 旗日であるが、近くのターミナル駅まで出かけたが、いつも見かける交番にも日章旗を見ることは出来なかった。 ところで、「文化」とは私にとって難しい言葉である。疑問に思うことが多く、このブログのNo.29(2005.11.03)に「文化の日に思う」と題して私の理解を纏めて掲載した。先日読み返したがいまも、それ以上の理解は出来ていない。やむを得ず、そのまま再度ここに引用することにした。 毎年「文化の日」を迎えて思う事がある。香り高い菊の季節の行事であるだけに、「文化」といえば文学、音楽、絵画、...

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2009/11/02

No.83:セレンディピティ(serendipity)の正しい用法 (褒められた人のへりくだった謝辞か?他人への褒め言葉か?)

2004年3月末のこと。テレビを見ていたら「セレンディピティ」という言葉に出会う。銀座だったか、旧東急百貨店跡地に出来た大型商業施設の中に「セレンディピティ」という名の高級雑貨店が出来たというのだ。恐らく店主は「掘り出し上手なお客様のための…」という意味合いで顧客の心理をくすぐる戦術に出たのではないか?と私は一瞬皮肉る思いもあったが、耳慣れないこの英単語でよくぞネーミングしたものと感心もした。 本来この言葉は科学者や技術者の間では時々聞く言葉だが、果たして正しく用いられているだろうか?と疑問に思うほど使う人にとっても難しい言葉である。例えば、著名な研究者が業績を他人に褒められた時、「あれはセレンディピティ、全くの幸運でした」などと謙遜してこの言葉を使っていた。しかし私は輝かしい業績を上げた人の素質への「褒め言葉」としての用法が正しいと思っている。 次ぎの「セレンディピティ物語」は1990年(平成2年)に私が書いた随筆の一節である。 「セレンディピティ物語」  1950年代の初め、社会人となった私が受け取った研究テーマが、当時カナダで発明された、そして現在もこれ以上の強靭性をもつ鋳鉄材料...

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2009/05/29

No.82 花と現代美術品

S090421cap_3 狭い我が家の庭でも4月、5月の庭の緑は目に優しく、生気に溢れている。一年のうちで私が一番好きな季節である。
花の命は短く切ないといわれる。なるほどムクゲ、アサガオなどのように朝開いて夕方に萎む花(槿花キンカ)も多いが、そんな花でも蕾が沢山ついて次々と開いてゆき、結局半月近くも楽しませて呉れるときがある。
一期一会の気持ちから、この花の最高の美しさはいましかないと思うときや、もう来年の出逢いは無いかも知れないと思うとき、いきおい私のデジカメは出番が多くなる。

S090421_2 しかしこうしたブログに発表するとき困るのが花の「本名」だ。私は植物の専門家でもないし、身近に図鑑や文献もないので、正しい花の名前を知らないことが多い。結局無責任ながら我が家での通称が大手を振って世間を渡ることになる。                 

若い時は図書館の分厚い図鑑をめくって花の名前を確かめたこともあるが、今日では便利なインターネットのお蔭で、他人のHPやウイキペディアなどから、名前や原産地などを参考にさせて貰うこともある。しかし注意しなければならないのは、中には「孫引き」もあって、全幅の信頼は出来ないことだ。          S090519cap                                                                                

私が嘗て技術者をやっていたとき、誤植か不注意な孫引きからか、技術図書中の引用文献の原典に到着できなかったことがあった。

また、数年前のこと。インターネットでルーブル美術館の1日の入場者数を調べたとき、コピーかと思われる程4万人/1日という数字が見られ、それでは年間ざっとみても1200万人かと驚いたが、恐らくこれこそが孫引きではなかったろうか。
最近再度ルーブル美術館の入場者数を調べたところ、この4万人/1日説のほかに年間500万人説、840万人説なども見られて大分常識的になってきたようで一安心したところだ。

ここに登場させた花の写真は、作品1枚のために20枚位撮影している。それを可能にしているのが庭先の花だからということと、デジカメのおかげである。勿論花が好きでHPを作っている人達は私と同じようなことをやっておられるに相違ない。

S090513_cap

ところで私は、「この花は美しい」、「この写真は美しさをよく表現できた」と自慢して皆さんに押しつけているところがある。
だが時に私は、花に対する感性、感覚的能力、或いは美意識は人間に共通したものかどうか?と疑問に思うことがある。もっと広くいえば「真・善・美」は人間の普遍妥当な価値であろうS090525か?という疑問である。

私は「現代美術」というものが全く理解できない。「醜悪」とまではいわないまでも「ときめき」を感じないのだ。しかしそういった前衛的作品にお金をかけて美術館を建設しようというのだから、評価できる人もいるのであろう。そう考えれば「美意識は人間に共通する普遍妥当なもの」と考えては間違いかも知れない。「美意識は人それぞれであり、自分の好悪、価値観を他人に押しつけてはならない」と。

先日(2009.05.27)の朝日新聞大阪北摂版によれば府は90年代総額9億5562万円を投じて7,800点の現代美術品を購入しているが、府立現代美術センター構想(1988)がその後景気悪化による財政難で2001年に白紙となり、展示場所や保管場所に苦労していと書いている。それら作品の一部であろうが以前から大阪モノレール駅構内のコンコースに展示してある。私は「美しさ」を全く感じないでいるが、立ち止まって熱心に見ている人もいないようであり評価出来ない人が多数派であろとも思う。

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2009/01/31

No.81:2009年新春雑感

S  1:成人式と非正社員問題
2:国旗
3:大河ドラマ「天地人」
4:年賀状問題
5:消防出初式

1:成人式と非正社員
今年は百年ぶりといわれる世界規模の大不況の中に明けた。12日(月)成人式、彼らへの祝福が嫌みや皮肉に聞こえるような経済不況の荒海の中に船出した。新成人のみならずこの春希望に燃えて新社会人として、第一歩を踏み出す筈の若者にも内定取り消しなど、就職難民への危機が待ちかまえている。「頑張れ!」と言いたいところだが、「どう頑張れと言うのか?」と反問されれば私はどう答えたらいいのか?

成人式など無かった我々の世代、新社会人となった1952年春(敗戦後7年)、入社式には殆どの同僚が紺色既製服の背広で臨んだ。紺色ヘリンボン背広生地、ようやくそんな生地が出回り初めていた。既製服背広約1万円、4月の初任給が9千円の時代であった。そのためか、学生服のまま入社式に臨んだ友人もいた。現在とは比較にならない貧しい時代であった。
                                                                              
コンピュータの進歩によって金融、生産、物流、販売などの業務、管理、情報処理、伝達といった一連の社会システムが構築され、今日のグローバル化社会が出現したと考えてよかろう。しかしこのグローバル化が皮肉にも不況を世界中に拡散、伝搬したと考えられる。
こうして、本来不況の責任を負うべき大人達もなす術も無く、人生の先輩らしい知恵や体験で若者に助言することも出来ないでいる。

非正社員の問題であるが、25年ほど前のこと。我々の職場に事務職として配置された女子事務員は10時出勤、午後3時退出という当時としては驚くような変則勤務であった。私は「何故そんな勤務を希望するのか?」とその女性に尋ねた。「自分の都合に合わせて勤務時間帯を自由に選べるのです」と。当時珍しく感じたことを思い出す。私は新しい時代の到来を半ば感心しながらも何か不安に感じた。「古き良き時代の日本の労働慣行が崩壊するのでは?」という思いだった。
この制度は1985年に成立した労働者派遣法(施行は86年)によってそれまでの規制が緩和されたもので、当時、事務職に限られていたようである。2003年の改正で派遣期間の上限を1年から3年に延長、さらに製造業への派遣も解禁となった。こうして製造業への正式適用は2004年3月1日から始まり、今回の経済不況の中での「派遣切り」というような悲劇に発展したようである。

この法制化の背景は、テレビや新聞で解説されているが、産業界が不況時の労働力の調整弁としていつでも雇い止め(契約更新しないこと)ができるように80年代になって国に労働者派遣法の制定を強く求めたこと。与党もこうした産業界の要請に応じ、野党の「不安定雇用の増加につながる」という反対を押し切って制定されたという。日本の労働法制は、もともと「雇用されて働く正社員」を前提として規定されており、派遣労働は禁じられていたと報じている。
毎日新聞社(http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/050322/1.html

こうしてこの約20年間に国は、派遣労働の「規制」から「推進」へと大転換し、雇用は多様化し、国際競争力の強化に貢献したとも言えるが、その一方で「同一労働・同一賃金への取り組み努力」を国は怠ったといわれている。
1月30日の朝日新聞夕刊によれば2008/10~2009/3間の、失職する非正社員は12万4800人、今春就職予定者のうち、内定を取り消された大学生・高校生は1215人になったという。
危惧はいよいよ現実となってきた。一個人では対処出来がたい規模の問題、政府に一日も早い対応、対策を求めるところだ。
 
2:国旗
1日、近所の神社に初詣した折町中の日章旗を探したが交番と、ある民家それに我が家のみであった。祝日は旗日である。旗も立てず祝日を単に休日に終わらせている責任は誰に在るのであろうか?S_2

写真は昨年11月末、芦ノ湖で見た遊覧船で、船尾に日章旗がはためいていた。よくぞと思ったが、実は船舶は日章旗の掲揚を義務付けられているという。公海でない芦ノ湖では無意味のように思われたがへんぽんとひるがえる様は美しかった。
祝祭日には日本人は誇りを持って日章旗をに立てて欲しいし、在日外国人は日本の旗日を共に祝っても良し、母国の祝祭日を堂々と自国の国旗で飾っても良かろう。

3:大河ドラマ「天地人」
今年(2009)のNHKの大河ドラマ「天地人」が始まった。この「天地人」という表題は簡略化されているためどう解釈すべきか気になるところだ。
この語源は「天の時は地の利に如(し)かず地の利は人の和に如かず(「孟子‐公孫丑下」による)」即ち人の和に及ぶものはないという意味が一般的である。
出典:
http://members.jcom.home.ne.jp/diereichsflotte/XunziMencius/LuckyIsNotAsLooksIsNotAsCooperation.html(酒匂貴一氏)

出典:天の時は地の利に及ばず、地の利は人の和に及ばない。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/tomiyan/kotenpage44.htm

しかしドラマの著者「火坂 雅志 ひさかまさし」氏はいう。
「『天地人』は、上杉家の知謀の執政・直江兼続の生涯を描いた作品。『天地人』というタイトルの由来は?上杉謙信の言葉に由来します。
『天の時、地の利、人の和の三つが整ったときに、物事はうまくいく』ということを言っている。なかなかそれを整えられる大将は古今東西少ない。でもそれを整えることに務めなさいということです。直江兼続もその教えを受けたということで、そういうタイトルになっています」という。

実は私のブログNo.18(2005.06.05付け、カテゴリーをクリック)で私も本来の意味(孟子)と異なる使い方をしたことをことわっている。「天」、「地」、「人」の三者が一体化した時初めて偉大な成果が得られるという解釈をした。
「当時、佐賀は何故にこうも人材を輩出し得たであろうか?その原因の一つはまさに『地の利』であり、その地の利に育てられた人材(『人の和』)が明治維新という『天の時』に遭遇し活躍した」と私は解釈した。

しかし天、地、人の三者一致は、人為的に努力して成るというものではあるまい。三者一致のチャンスは偶然に来るとしても、それを生かし切るかどうかは「将」の力量であろう。
こう考えてくれば孟子の原典とは別に、新しい解釈として「天地人」とは「三者一致の成果」を成句として考えてもいいのではなかろうか?
火坂 雅志氏の、原典を無視して上杉謙信の言葉として披露した理由は、私と同じ発想であろうか?

4:年賀状問題
私は一昨年(2007)末作成の年賀状に、今回限りにさせて頂きたい旨の添え書きをした年賀状が少々ある。比較的お付き合いが浅く、惰性的に年賀状を交換している方々への年賀状の問題である。私はこのまま継続することは反って先方にご迷惑ではないか?と考えたためだが、後期高齢者の私であれば少しずつ身辺整理をという気持ちもあった。ただ、代案として必要に応じて適時メールで連絡や近況報告などはさせて貰いたい旨の付記もした。
この問題の結論をいえば、私の申し出に対して、数名の方には同意して頂いた。しかし若い方の中には私の申し出にも拘わらず今年も年賀状を送って頂いた方もあり、これをどう理解するか私は複雑な気持ちである。

また逆に、昨年のお正月に後期高齢者の方から頂いた年賀状に、今年限りにさせて頂きたいと付記のあった年賀状があった。私は先方の申し出に忠実に従って今年は欠礼した。
しかし家人が言うに「先方は、年齢的に自分で年賀状をしたためることが苦痛になっての申し出ではあろう。しかし年賀状を貰えば嬉しいに違いないので、出した方が良いのではないだろうか?」という。こちらも私の思いは複雑である。

5:消防出初式
1月11日、私は生涯で初めて私が住む町の消防出初式を見学した。S_3
消防出初式は毎年新春早々に、消防職員、団員の職務遂行への決意向上と士気高揚を目的に、合わせて一般市民の防火思想の普及を図ることを目的に消防出初式が開催されるようである。
私など消防車両といえば消防ポンプ車と思っていたが観閲で見た車両は化学車、タンク車、ポンプ車、救助工作車、人員搬送車、特殊災害支援車、救助工作車など多岐に亘っており、また、一口に消防署員といっても、市の消防職員の他に地域の安全は自分たちで守るべく組織された消防団員、更には家庭からの火災発生を防止すべく組織された女性防火クラブ、幼稚園には幼年消防クラブが、また日本レスキュー協会災害救助犬なども組織されていることを初めて知った。
これらの行事の合間に消防音楽隊の演奏があり、三連はしご訓練、一斉放水、更には近隣高校の女子チアリーダーのショーを見学し、有意義な一日であった。(2009.01.31) 
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2008/11/06

No.80 むべ(郁子・野木瓜)の実が色づいた

もう35年ほど前から、我が家の裏門柱とフェンスを飾ってくれている蔓性の常緑低木がこの「むべ」だ。春に白い花が咲き、今頃(11月)卵型、暗紫色の実が生る。 通りかかった人に「あけび」ですか?とよく尋ねられる。いや、「うべ」ですよ。「食べられますか?」「いや食べたことはありません」と私。実は我が家ではこれまで「うべ」と言って来たが、インターネットで調べると間違いではないが「むべ」が正式名のようだ。 デジタル大辞泉によれば「アケビ」科の蔓性の常緑低木。山地に生え、葉は手のひら状の複葉。5月頃雌花と雄花とをつける(雌雄同株)。実(み)は熟しても裂けず、生食される。ときわあけび。うむべ。うべ。《季 秋 花=春》 「むべの門くぐりてつねのごと帰る/素逝」とある。 私も長年、むべの蔓の下をくぐって出入りして来たが心得のない私にはそんな句は浮かばなかった。                              ...

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2008/10/28

No.79:私の雑感、ドラマ「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」を見て

「歴史に『もし』はない」と言われる。戦陣訓(*1)で洗脳された黒木軍曹と、もし出会わなかったら大脱走事件はあるいは発生せず、終戦時に全員無事帰国出来たかも知れない…。                                                                   また、このドラマの元となっている事件は公知ではないとしても幾たびかマスコミに取り上げられている。そういう話題を何故いま取り上げたのか?という疑問もわく。            &#...

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2008/06/11

No.78 : DVD-Rへの書き込みが出来ない

大量の画像などをDVDに書き込んで保存したいと希望するなら、「パソコン購入時にドライブがその用途に対応しているかどうかを十分に検討しなければならない」と、私の失敗から申し上げたい。但しVista PCでは、CD-R/RWやDVD-R/RWにデータを書き込むことが簡単になったそうであるから、このお節介は無用かも知れない。 10年以上もパソコンとつきあっているので大抵のことは分かっていると思っていたのが間違いだった。今にして思えば3年前、DELLのノートInspiron-4000、(Me)からInspiron-1150、(XP)に買い換えた際、光学ドライブ(CDドライブ)の機種選定を間違えたのだ。Me時代、このCDドライブはCD-ROMからソフトをインストールするとか、自分で作成した文書や画像をCDに書き込んで保存することに利用してなにも問題がなかったのでつい同種のドライブを選択していた。 しかし最近、デジカメ写真を月間7~8百枚も撮っていると、内蔵のハードディスク(40GB-HDD)では、残量がうっかりすると1GBを割ってしまい色々と不都合が出るようになった。どんな写真を撮っているのか?...

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2008/06/06

No.77:泰山木の花が咲き始めた

今朝我が家の泰山木の開花に気がつき慌ててデジカメを 持ち出し、1,2枚下から見上げて撮ったが、僅かに白い花びらが見えるだけだった。この後二階から写したのが次ぎの写真である。我が家で一番の高木で4,5メートルはあろうか。門から玄関までの狭い場所に植えているので、反り返って見上げても開花に気付かないことが多い。今朝は落ちた花びらを見てやっと気付いたというところ。何とも気の毒な木である。 今日も例のごとく、ウィキペディアや皆さんのブログ(*1,*2、)をお借りしてこのブログを纏めた。(2008.06.06) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』                                                  ...

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2008/06/03

No.76:今年も「くじゃくサボテン」が咲き始めた

我が家の植木鉢のくじゃくサボテンが今年は7個もの 蕾 を付けた。5月末から次々に咲き始め、1日に2輪咲いた日もある。その豪華さ、妖艶さにうっとりと見とれるが、1,2日で萎れてしまう。一期一会、それ故にしっかりと眺め、カメラにも収めた。 ところでこの花、誰に見せようとこの美しい花を咲かせているのだろうか?開花期の我が家では鉢を室内に入れるので、「箱入り娘」になっており蝶も訪れない。博学の人のブログ(*1)に、「メキシコ地方原産」と書いてある。メキシコの屋外では蝶が訪れてくれているだろうか?次のブログを引用させて頂く。(2008.06.03) (*1) 孔雀サボテン(くじゃくサボテン)          http://www.hana300.com/kujaku.html           ・サボテン科。                       ・学名  Epiphyllum hybrid    ...

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2008/05/28

No.75:あなたの呼び名は「昼咲き桃色月見草」ですか?「琉球月見草」ですか?

この可憐な花を母は「琉球月見草」と呼んでいた。ここ1週間ほど毎日咲き続けている。「昼咲き桃色月見草」という一般名は、10数年前近くの図書館で見つけた。以後私はそう呼んで来た。 今日ではこの花に関心を持つ多くの皆さんのサイトを容易に見つけることが出来るし、植物の学名から通称まで、皆さんの蘊蓄に接することが出来る。我が家のこの花は間違いなく昼咲く桃色の月見草である。 しかし、このなよなよとした立ち姿の淡いピンク色の花は「琉球月見草」と呼ぶに相応しく、「昼咲き桃色月見草」は正確な表現ではあっても、この花の持つ可憐さも色香も感じられない。                            では「琉球月見草」という名前はどの程度知られているであろうか?この名前でもインターネットで同じ花が沢山確認できる。波照間島(沖縄県八重山郡竹富町波照間)でも見たというサイトもあり、如何にもこの名前の出自を裏付けるように感じられるが、北米産とあり、どこから琉球がで出てきたものか?( 2008.05.28) 文献を一つだけ引用させて頂 く。  http://www.kagiken.co.jp/new...

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2008/05/23

No.74:今花盛り…我が家の「じゃこうにんどう」(花シリーズ-1)

我が家で母の代から「じゃこうにんどう(麝香忍冬)」と呼んで来たこの木、ネットフェンスの一部を飾ってもう30年程になる。毎年この時期(5月中旬)に、ほのかに香る白、黄の花を咲かせる。蕾の深紅色を含めると3色、清楚さの中に賑やかさもある。先日ふと私の呼び名はこの花の本名だろうか?私のような恍惚世代でも、もはや本物の香料「麝香」の香りを知らない。あるいは現代語的通称で呼ばれているかも知れない。それに我が家の木は血統書?付きというような名木でもないので、強引に私の主張を通そうというのでもない。 我が家では例年は軽く剪定(秋)するだけだが、5年に一度位は剪定時にかなりきつい刈り込みを行っているが、折角冬の寒さに耐え(忍)て呉れているのに、これは迷惑だろうか? というわけで、「本人」に”ブログデビュー”して貰うことにした。「私、じゃこうにんどうでしょうか?」と言う筈である。 以下皆さんの蘊蓄(うんちく)を引用させて頂き、 私の結論は保留したい。(2008.05.23)                                  参考資料: 1...

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2008/04/15

73:花との出逢い 一期一会

我が家の小さな庭にもいま色々の春の花が咲き競っている。 海棠(かいどう)、花蘇芳(はなすおう)、利休梅(りきゅうばい)、突き抜き忍どう、つる桔梗などなど。 私はいそいそとデジカメを持ち出して今日の出逢いを喜びながらその瞬間の美しさを捕らえる。    それらの花の中には、今日はまだ早すぎるよ。明日写して!と訴えてくる花もある。「私の一番美しい瞬間を捕らえて欲しい」と。いや、その気持ちはこちらにもある。こうして私は毎日花と対話しているところだ。 デジカメ時代になって有り難いことは、撮影結果をすぐに確認でき、撮り直すことも出来ることだ。また、Webの世界にはフリーの優れた画像処理ソフトもあり、画像処理で生き返る作品もある。私など、それらソフトの恩恵に浴するばかりで何ら社会還元出来るものがないが、ブログやホームページにのせた作品がもし、人に好感を与えることが出来ていればそれらソフトの貢献度が大きいものと評価して頂きたい。 私がお世話になっている画像処理の主なものは 水平線修正(PICASA)、 ピント修正(PICASA、BTJ3)、 色修正(Irfan View、BTJ3)、 画像縮小(縮専)...

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2008/03/22

No.71後期高齢者とは何だ?火災警報機とは何だ?

政府が決めて世間に広く用いられる「名称」は、誤解や不快感を与えないように慎重に決めて欲しいもの。                                   (1)後期高齢者 この四月から私は非情にも「後期高齢者」と呼ばれることになった。75歳以上が全員この制度に移行する。ちなみに65歳から74歳までが「前期高齢者」である。 Webを開くとこの制度への疑問がかなり見られるが、私はこの制度の善し悪しを論じようというのではない。「もうお前さんは人生最後のステージ、後がない人間だ」と聞こえるこの言葉に苦情を言っているのだ。こんな言葉を作った犯人は誰だ?高齢者への理解や配慮があればこんな名前は付けなかっただろう。 では「どんな名前をお好みか?」と問われれば私とて名案はないが例えば10年毎に第1期高齢者、第2期高齢者、第3期高齢者…などと命名すれば健康への向上心...

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2008/02/27

No.70:「統合学」とは何だ?

日曜日や休日に家にいると、時々キリスト教信者の訪問を受ける。インターホン越しに「私は近所の○○ですがちょっとお邪魔します」とくる。 ついで例えば「最近の青少年の非行やいじめについてどのようにお考えですか?あるいは世界平和のために今何かしたいと思いませんか?というような至極真面目な切り口で問いかけて来る。暇があれば聞いてやってもよいと思わせるような話題だが、私が「(あなたは)キリスト教の方ですか?」と問うと「ハイ」という返事。「いや、折角ですが私は仏教でしっかりやっていますから」と断る。それでも粘って勧誘してくる人には「私はもう高齢ですから宗旨変え出来ません!」で交渉は終わる。”しっかり”と言っても仏教に帰依しているわけではない。断るための常套語である。心のどこかに「葬式仏教*1」を甘受しているのだ。 ところで、我が家の菩提寺は急行列車で3時間ほどかかる遠隔地にあるので日頃は近くの日蓮宗の寺でお世話になっている。その新年祈祷会に参加した時のことだ。本堂に置いてあった新聞(日蓮宗新聞平成20年1月10日号)に「統合学*2」という言葉が躍っていた。 「近代文明の末期症状的今日の世の乱れは『哲...

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2008/02/11

No.69「私の愛国心」

山田久美著「ボストンに恋して」を、私はブログNo.41(06.02.02)で 紹介した。この本を読んで以来、単に休日として過ぎてしまうことの多かった私の祝日を反省し、国旗だけは忘れずに掲げ、もっと有意義に過ごそうと努力している。 今日2月11日は「建国記念の日」、勿論日の丸の旗を掲げた。我々世代では、小学校の教育のせいもあるが、日の丸の旗は勿論日本の国旗であり、国旗を掲げることは愛国心の表明でもある。 戦後の復興・建設の時代に生き、その時代の繁栄に寄与したという誇りのある我々世代にとっては、日の丸の旗は我が国発展の「一里塚」に立てて来た努力賞のようなものでもある。                                   戦後日本の復興は、焼け跡の廃墟の中から衣・食・住の全てを一から築き上げることで始まった。私はその時代を、表現を許されるなら「後進国...

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2008/01/28

N0.68:初詣・ショートカットの賞味期限 

◇初詣                                                          1月4日、京都北野天満宮、金閣寺、銀閣寺に初詣に行く。入試が近いこの時期、天満宮はさすがに若い参拝客で賑わっていた。 ここから金閣寺までは歩いても行ける近さと聞いたが、タクシーに乗った。近づくにつれて道はさすがに混雑して来た。タクシードライバーは、「ここは年中賑わっていますよ」という。 1950年放火により焼失、1955年に再建されたというからもう50年ほど経過しているが、生まれたてのように金閣寺は輝いていた。絢爛豪華、まさに権力の象徴である。しかし多くの文化財は権力者の手で作られ後世に残った...

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2008/01/10

No.67 2008年新年雑感

「新年の誓い」を立ててその目標に向かって邁進するなどの必要のない私である。しかしあえて誓いを挙げれば「日頃疑問に思っていることは徹底して追求して行く」ということである。 一日の天声人語(朝日新聞)欄に(一般に)「昔話を、それも『良き時代』を語り出せば成長は止まるという。だが、語りたい、語るべき過去があるのはいい。…」とあり、同感。先ずはそこらあたりから書こうか。 亀の甲より年の功だ。私もその「古き良き時代」に育った人間として少しはいわせてもらおうか。「旗日」になぜ国旗を立てないか?私は元旦には必ず国旗を立てている。それが日本人としての私の誇りであり、我が家の古き良き習慣である。こういった文化は変わって欲しくない。しかし最近近所でも滅多に旗を見ない。消防署と交番くらいである。                               お節料理の習慣については、我が家も少しずつ変化している。老齢化に伴い昨年から近所の料亭のおせち料理を購入している。結構おいしい味付けで満足している。 食品の冷蔵・冷凍技術のおかげで、いわゆるお節料理といわれるような「日持ち」を第一に考えねばならぬ料理も、年...

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2007/10/31

No.66:再びスペイン、内戦のころ

前回(No.65)の「パルケ・エスパニア印象記」に私は「パエリアか?パエジャか?」と疑問を書いた。早速ある方からコメントで明快な回答を頂いた。御礼を申しあげると共に、ここにその一部を付記させて頂く。 「パエリヤの件ですが、私の知り合いのパルケエスパーニャで働くスペイン人は皆「パエージャ」と言います。…彼らは(アンダルシア出身もカタルーニャ出身もバスク出身も)普通に「パエージャ」でした。 スペイン語の(lla)を(ジャ)と発音する事が多いです。sevillanasはスペイン村のコンテストでは「セビリャーナス」と言ってますが、スペイン人たちは皆「セビジャーナス」と発音してます…」と。これから私も「パエージャ」で行きたい。 さて本論。ある日(1990年頃)私は「斜陽はるかな国」(逢坂 剛、朝日新聞連載小説)に出会う。 舞台はスペイン。ストーリーは東京とスペインとを往復する。タイムトンネルは50年前のスペインの硝煙弾雨の中に抜ける。そんなストーリーだが、難点は民族名と小政党名の略記号が覚えられないこと。この小説のためにやむなくスペインの歴史を勉強することになる。太平洋戦争中、学生は15、16才...

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2007/10/26

65:パルケ・エスパーニャ印象記

先月(2007.09)伊勢志摩のホテルに泊まったおり、初めてパルケ・エスパーニャ(スペイン村)を訪れ楽しい一時を過ごした。その気になれば我が家から3時間程で行ける近さながら、日頃私は「スペインは本物で味わいたい」と考えて敬遠してきた。年間数千万人を超える旅行者がスペインを訪れているというスペインの魅力は一体なんだろうか?その理由を私の目で確かめたいと。 しかし結構いい年令になってしまった私は14,5時間もの空の旅は苦痛であり、その願望は萎むばかり。そんな思いもあって、”心ならずも”とまでは言わないがここを訪れた。写真はホテルからの遠景(1,2)、スペイン村内の建物、ハビエル城博物館内部の展示品、ショーなどである。 入り口で貰った小冊子(*1)、”スペイン”(スペイン政府観光局・東京版)で教えられたことの第一は、「年間5,000万人を超える旅行者がスペインを訪れています」とあり驚く。 第二は「厳密に言えばスペイン料理!というものはなく、それぞれの地方独特の郷土料理がある」というくだり。スペインの魅力の根源は「食」に限らず歴史的建造物・文化財など、恐らく文化の多様性にあるのではなかろうか?...

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2007/10/16

64:ケータイにまつわる不安

.パソコン歴20年ほどの私だがケータイはこの春からという素人。ペースメーカの世話にな っている私としては不本意な選択だが、公衆電話の減少、高齢化に伴う緊急時の連絡などのやむを得ない事情から、ペースメーカとのニアーミスを警戒しながら用途を我が家との連絡だけに絞って使用することにしている。 そんな私だから基地局から出る電磁波の近隣住民への影響や、ケータイ使用者自身への影響(ペースメーカ問題を除き)問題を全く意識して来なかった。 しかし否応なくこの問題に頭を突っ込む事になった理由は、近所のビルの屋上に2本目の携帯基地局設置計画が持ち上がり、自治会がその対応に当たることになったためである。 左の写真はケータイ電話会社A社が既に設置しているアンテナである。B社が同様な基地局を設置したいと申し出た理由は、GPSの需要増加を見込んでの対応のようである。ところが住民の一部が過敏に反応して予想外の大きな問題となり、結局自治会は手を引く事になった。 GPS(Global Positioning System 、全地球測位システム、地球上の現在位置を知る衛星測位システム)は迷子や、私もいつか徘徊高齢者として...

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2007/10/03

63:「日本人の無口は、内気か?プライドか?」(ジュネーヴからチューリッヒへの旅から)

                                今年は猛暑のせいか、彼岸花の開花が遅れていた。紅、白並べて植え付けている庭先の彼岸花のうち、白が漸く昨日から、そして待望の紅が今日咲いた。一方、時計草は6月の「時の記念日」の頃から咲き始め今日もまだ咲き続けている。これも異常気象のせいだろうか?   スイスのジュネーヴからチューリッヒに向かうインターシティ(国際列車)に乗り込んだ1985年6月のことだ。さてどこに席をとろうかと車内を一瞥した時、車両の中央あたりに日本人らしい男性客を見かけた。少しためらったのち、「隣席に座ってもよいか?」と私は声をかけた。これからチューリッヒまで共に過ごしたいと考えたのはこのがら空きの車内で、バラバラに座って約3時間もの退屈な時間を過ごすのは苦痛であり、滑稽でもあると考えたからである。 しかし返ってきた言葉は中国語らしかった。私は全く解らなかった...

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2006/11/09

62:いじめ問題の背景と遠因

62blog061109 死を以ていじめに抗議する青少年の訴えが続く。責任を回避する教師達の醜い姿や、機能していない教育委員会組織も暴露されている。「死を以て」抗議するという行為はそれがたとえ異常な心理状態でなされたとしても、我々が容易に出来る決断ではない。それほど異常・重大な決断である。もはや精神的・肉体的虐待があったとか無かったとかの次元の問題ではない。親も教師達もこの青少年の「死の抗議」の責任を真っ正面から受け止め無ければならないが、しかしこのことは単に教育界の問題ではあるまい。

彼らをそこまで追い込んだ背景は何か?一寸酷ないい方になるが、私は最近の青少年にひ弱さがあるのではないか?と思うことがある。その原因についても考えねばなるまい。

もう一点は、米国の戦後占領政策も含め、「実験の場」とも言える大人社会の諸制度の変動、文明の進展などが、新鮮な頭脳を持つ青少年に悪影響を与え、彼らはその犠牲となっているのではないかという危惧である。

彼らは私の少年期に比べて羨ましい程多くの知識・情報・商品・貨幣を持ち、欲しいものを容易に入手出来る豊かな生活環境にある。しかしこの環境こそが、自力で挑戦して目的を達成するという「ハングリー精神」を阻み、意欲や向上心を育て切れず、ひ弱さを残す原因となったのではないか。

昭和初期生まれの私は次のような環境下で育った。
 どこの家庭も兄弟姉妹が多く子ども同士の競争やいざこざは日常のことであり、家庭にありながら子どもは自然な形で競争社会に組み込まれ、精神的タフさが養成されて行った。
 日本社会は生活水準の低い貧しい時代であり、ことに戦時下という条件も加わり物質的、文化的困窮の時代であり、この環境に耐える精神力、克己心が自然と醸成されて行った。
 我々は時に蔭で先生を綽名(あだな)で呼ぶことはあっても、先生はあくまで尊敬、敬愛の対象であり、また先生自体、師表に立つという矜持を持つ存在であった。
 マスコミは成熟せず、競争社会を助長する教育産業もなかった。インターネット、ケータイというような個人単位の情報交流手段はなく、情報は先生、親、先輩、友人、兄弟から入手し、知識は主として活字文化(図書)から吸収するという社会システムであった。今日、識者が指摘するような「マスコミの報道過剰が悲劇を誘発する」、「小説、ドラマ、映画、インターネットなどから悪質な知識、テクニックを教わる」などのことは無かった。

  小学校には修身という徳目(忠、孝、仁、義、礼、智、信など)教育があった。儒教を基本とした祖先崇拝、長幼の序、忠孝の思想などを教わる過程で、おのずから善悪判断のバランス感覚が身に付いて行った。

 塾や家庭教師など学業を支援する組織は殆どなく、学業の達成や就職の目標達成はあくまで個人の努力で得るものであったが、先輩あるいは兄、姉など身近な存在に目標を置く場合も多く、彼らもまた、支援、援助を惜しまなかった。

私は1941年から1945年まで、今の中・高生生活を送っていた。太平洋戦争(*1)の真っ直中であり、15才からの2年間は学業を離れて軍需工場に配属され、航空機部品を削っていた。

当時、農家の担い手の多くが戦場に兵士として送り出され農村の食糧生産能力は極度に低下し、米穀類は政府管理下で配給となり胃袋を満たすことは出来なかった。紙・パルプ生産も低下し、知のエネルギーともいうべき活字文化(図書、雑誌、新聞)にも飢えるばかり。情報・娯楽源といえばNHKのラジオと多少のレコードのみ。映画や演劇はまさに風前のともしびであり勿論学生が自由に出入りできる環境ではなかった。冷暖房設備といえば当時クーラーは一般家庭に無く、冬期の暖房は僅かな薪炭に頼るのみ。暑さ、寒さへの不満は、戦地の兵士の苦労を想起して辛抱するように諭された。我々の忍耐力や根性はこうして育って行った。私はこういう時代を美化しているものではない。私が育った時代背景を説明しているだけである。

そういう時代にも「いじめ」は存在し、私はその犠牲者の一人だった。人間が動物である以上、縄張りを主張して争い、群れの長となって力を誇示する。この種の行動は動物の本能であり、未来永劫この地球上から消え去ることは無いだろう。
私は同じ方向に帰る3人の友人に種々の悪戯をされた。ことに学期末には成績通知票を取り上げられるという不愉快な出来事もあった。

しかし、いじめられるにはそれなりの理由がある。私の場合体質虚弱で腕力が無く、体操と軍事訓練(教練)が下手でからかいや、いたずらの対象になりやすかった。彼らより成績が少し良かったことから妬みの対象にもなった。だが死にたいと思うことなど全く無かった。彼らの深層心理の中に上記項の徳目教育が生きていたのであろう。いじめ自体が今日ほど陰湿ではなく凶悪でもなかったため、親の力を借るという発想にまでは至らなかった。
      
実は私は戦後すぐの頃、ある授業で「3S政策(*2)は国を滅ぼす」と教わった。3Sとはスポーツ、スクリーン、セックスの頭文字であった。当時私はこの言葉の内容を十分に理解せず、その影響の重大性、波及性にも思い至らなかった。しかしその後の世情を見るに付け、あの指摘が正しかったのではないかと時折私の脳裏をかすめた。このブログを書くに際して、「…国を滅ぼす」という下りが気になって「3S政策」を検索しそこに安岡正篤先生(*2,3)の一文を見出した。

「3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策である」とあった。
60年前、3S政策を批判した私の先生の卓見と共に、安岡正篤先生の慧眼に同感するところがあったので、このブログの最後に引用させて貰った。

私は、3S政策の普及浸透が今日、我が国を滅ぼす程の教育・社会荒廃の遠因となったのではないか?と感じている。しかし、3S政策類似の現象はすでに米国始め世界の各地に見られる現象で、遅かれ早かれそれらの負の側面を吸収したはずだとも考えられる。

また、3S政策の他、我が国は戦後アメリカから到来した「消費社会」の黒船にも見舞われる。多くの利便性を享受した反面、徳目を教わらなかった日本国民に多くの悪習慣を残す。ごみ問題など地球環境の汚染という負の遺産にいま漸く反省期を迎え対策が進展してもいる。

新たな黒船として「グローバル社会の出現」はまさに壮大な実験として展開中であり、識者の危険性、弊害指摘も多い。「グローバル化」の美名のもとに、のたうつ恐竜のように変態する世界規模の新制度、新事業、新業態、新思潮、新製品。それらの、子どもや大人に及ぼす影響や危険性についてのアセスメント(事前評価)は恐らくなされていないに等しいのではなかろうか。

最後に私が「成長型文化」と命名した文化の影響も指摘したい。
本来文化は「循環性(周期性)を特徴」とし、人間に深刻な弊害を及ぼす程の力を持っていなかったが、今日、「科学・技術発展の成果と結びついて変容する文化(これを私は成長型文化と命名)」も誕生し、人間の精神面、肉体面に予測出来ない刺激、影響、弊害を及ぼしてはいるではないか?と思われる。

社会の少子化に伴い「無菌室育ち」ともいうべき抵抗力の弱い青少年が誕生していることも事実であろうし、「いじめ」自体もいまや単純な本能型から高度化・複雑化した「成長型文化」へと変容しつつあると思われる。

日本人にとって「いじめ」の悲劇は、戦後に徳目教育を受けず、宗教も持たないという特殊性によってエースカレートしているように思われる。米国における「いじめ」の実態を私は知らないが、恐らくキリスト教精神を人間行動のバックボーンとして持ち、いじめ問題においても、どこかで踏みとどまる良心を有しているのではなかろうかと考えている。

問題の解決策は何か?
実験社会から生み出される…制度、政策、新技術、新製品のすべて、さらには流行などの発信文化のすべて…において、「評価制度」を確立して人間と人間社会に及ぼす弊害の有無を早期に検証し、早めの対策を実行することによって、背景、遠因と言われる要素の根を断ち切ることであろう。(
2006.11.09)

参考資料:
*1:太平洋戦争(たいへいようせんそう、英:Pacific War)出典: ウィキペディア
第二次世界大戦の内1941年12月8日(大本営発表日)から1945年8月15日の玉音放送(停戦)を経て、9月2日に降伏調印の期間における、大日本帝国と、主にアメリカ・イギリス・オランダなど連合国との戦争の呼称の一つである。もともと太平洋戦争とはアメリカを始めとする、連合国側での呼称であった(アメリカでは、ただ単に、‘The War:例の戦争’と呼ぶ事が多かった)。当時の日本では日中戦争を支那事変と呼ぶともに大東亜戦争と呼称していた。

*2:3S政策
アメリカの占領政策ー3R、5D、3S政策
この欠陥(昭和の教育が知識、技術に偏り人間学の教育が無かった)が終戦後また現れまして、占領軍の日本統治に対して対応する仕方を全く誤りました。占領軍は、むしろ日本を非常に買かぶっておりましたから、いかにこれをアメリカナイズするかということにたいへん研究を積んでおります。このアメリカのGHQの対日政策というものは実に巧妙なものでありました。

この政策に巧妙な解説がありますが、たとえば3R、5D、3S政策というものです。
これについて、私に初めて説明した人の名前を今、記憶しないんですが、当時GHQにおりました参事官でガーディナーという、ちょっと東洋流の豪傑のようなところもある人物からも直接聞いたことがあります。それによると、3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策です。

3Rの第一は復讐(Revenge)です。アメリカ軍は生々しい戦場から日本に乗り込んだばかりで復讐心に燃えていたので無理もありませんが、復讐が第一でした。第二は改組(Reform)。日本の従来のあらゆる組織を抜本的に組み替える。第三は復活(Revive)で、改革したうえで復活、つまり独立させてやる、抹殺してしまうのは非人道的だからというわけですが、この点、日本はアメリカが占領軍で有難かったわけですー共産国だとどうなったかしれません。

5Dの第一は武装解除(Disarmament)、第二は軍国主義の排除(Demilitalization)、第三は工業生産力の破壊(Disindustrialization)で、軍国主義を支えた産業力を打ち壊すというもの。第四は中心勢力の解体(Decentralization)で、行政的に内務省を潰してしまう。警察も国家警察も地方警察とに分解する。そして財界では、三井総元方あるいは住友、三菱の総本社を分解する、つまり財閥解体です。第五は民主化(Democratization)で、日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除してアメリカ的に民主化する。そのためにはまず日本帝国憲法を廃棄して天皇を元首から引き降ろし、新憲法を制定してこれを象徴にする。皇室、国家と緊密な関係にあった神道を国家から切り離す、国旗の掲揚は禁止する。教育勅語も廃止する。これにはかなり抵抗がありましたけれども、GHQのひとにらみで駄目になってしまった。
新憲法も、あれを受け入れるならば、「日本が独立の暁には、この憲法は効力を自然に失う」という付則をつけておくべきであったが、そういうことも何もしていない。ドイツなどは、それをちゃんとやったのです。これをやらなかった日本は、本当に間抜けというか、意気地なしというか・・・、そしてアメリカ流のデモクラシーに則って諸制度を急につくり上げてこれを施行したわけです。これが5D政策です。

それを円滑あるいは活発に行わしめる補助政策として3S政策があった。第一のSは、セックスの解放、第二のSがスクリーン、つまり映画・テレビというものを活用する。それだけでは民族のバイタリティ、活力、活気を発揮することがないから、かえって危ない。そこで精力をスポーツに転ずる。これはうんとやらせる。スポーツの奨励ーこれが第三のS。これらを、3Rの基本原則と、具体的な5D政策の潤滑油政策として奨励した。なるほど、これはうまい政策でありまして、非常に要を得ておる。これを3R、5D、3S政策というわけです。

こうした占領政策を施行された時に、日本人は堂々と振る舞うと思ったのですが、案に相違して、我も我もとGHQ参りを始めました。特に公職追放が行われてから後は、表向きの人々はGHQ様々で唯々諾々として「命これを奉ずる」という有様でした。そこへゆくと、同じ敗戦国でもドイツ人は違っていました。彼らは、なにしろ昔から勝ったり負けたり繰り返してきているから、たまたま負けても動ずるところがない。ですから、占領軍が命令しても悪いことは堂々と拒否する。日本人は唯々諾々、直立して「イエス・サー」と言うからイエスマンといわれたが、ドイツ人はこういうふうですからNein Mensch No Manです。占領軍は、だから、初めは日本人を可愛がり、ドイツ人を憎みましたが、しばらくすると、「日本人はつまらぬ、骨がない」と軽蔑し、逆にドイツ人は「しっかりしとる」と褒めるようになったのです。

日本を全く骨抜きにするこの3R、5D、3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいはこれに乗じて野心家が輩出してきた。日教組というものがその代表的ものであります。そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の 廃、こういったものは皆、この政策から生まれたわけです。

今日の日本の堕落、荒廃、意気地のなさ、こういう有様は昨日今日のことではない。非常に長い由来・因縁があることを考えないと、これを直すことははできません。
皆さんが今後起こってくる諸般の問題をお考えになるのには、目先の問題をとらえた流行の皮相な理論では駄目でありまして、先程申したように、少なくとも明治以来の思考三原則によって徹底した考察をなさらないと正解を得られない。したがって、今後の真剣な対策も立たないということを私は信ずるのであります」
出典:http://www.ta-da.net/i/3r5d3s.html 
「昭和の吉田松陰と言われる安岡正篤先生の著書「運命を作る」より

*3安岡正篤:ウイキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4

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2006/10/03

61:ブログとは

先ず「生き」のいいこと。今日昨日の「新しい出来事」を映し出していること。気取ったテーマでなく日常の茶飯事でもよい。だが、願わくは将来それらが「世相を映した情報」として歴史の一部になるような話題がいいだろう。そんなブログが書きたいと、これは私のブログ内容についての宗旨変えである。 ということで現実を写した大阪の醜聞から入ろうか。 話題1:車上ねらい 近所の交番から「○○交番所便り」が回ってきた。「車上ねらいの被害にあわないために!」とあった。 「車の窓ガラスを割って、車内のカバンなどを盗む車上ねらいという犯罪があります。車上ねらいの被害にあうと盗まれたものは勿論、車の修理代や盗まれたカードが悪用される、あるいは個人の情報が知られるなどの二次被害も生じます…」と。ではどうするか?「車内を空っぽにしましょう」とあった。 こういう情報を情報化社会の恩恵と見るのは早計だろう。では行政の温情か?それも一寸違うように思われるが…。 つい先日テレビを見ていたら大阪がこの種の犯罪のワーストワンだという。車内に人が居ても仮眠などしていたら、ハンマーで窓ガラスを割り、気付いた時はカバンを持って逃げているとい...

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2006/09/03

60:トフラー先生の読書法(囲い込み戦略-1)

アエラ(2006.9.4号)の表紙に、未来学者アルビン・トフラー先生が登場して いた。歯科医院の待合室でぱらぱらとめくる。先生は通常、同時並行して6~8冊の本を読むそうで、いま大著の戦後ヨーロッパ史、ジハードの歴史、キリスト教と科学の発展との関係、バリー・アイスラーの雨の影、村上龍の69などを読んでいるという。先生は、こういう読書法のメリットを、テーマ間の意外な関係の発見に役立ち、新しい発想の展開にも役立つというようなことを述べていた。勿論、サスペンス本などは息抜きであろう。 実は私もこのような同時並行方式で読書していた時期がある。例えば、あるテーマに関して見解を纏めようと思う場合に、中央に置いたテーマ軸の周りに関連する本を数冊並べ同時並行して交互に読み進む。一見似たような内容の本でも著者それぞれの視点、力点があり、解釈も表現も異なる。いわば裏や斜めからテーマに迫ることになり、真っ正面から読むだけでは理解できにくい事柄が意外に良くわかるものだ。現在素浪人の私、勿論こんな読み方はしていない。テーマを「囲い込む」このような読書法は確かに効果があった。私はこれを「囲い込み戦略」と名付けること...

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2006/08/15

59:「イザヤ・ベンダサン」のこと

1995年の6月頃、私はユダヤ問題について「随想」を書いた。その際次に 示す数冊の本を読んだ。その中の一冊、イザヤ・ベンダサンの著書は出版直後に一回目を読み、名著として感激した思い出もある。近々、ユダヤ問題の「随想」をアップロードしたいと考え、これらの参考本の現状を調べたところ、イザヤ・ベンダサン著作本はその後評価が微妙に変わっていたことを知った。そのことが私の「随想」の賞味期限にも微妙な陰を落とすことになるかも知れないのだが…。  ◆ラビ・M・トケイヤー:「ユダヤ格言集」三笠書房、1994.12.1O第1刷  ◆J・P.サルトル「ユダヤ人」岩波新書、1994.9.16.第58刷  ◆土井敏邦:「アメリカのユダヤ人」岩波新書、1994.11.4.第10刷  ◆イザヤ・ベンダサン:「日本人とユダヤ人」角川文庫、1973.7.10. 37版発行  ◆H.G.ウエルズ:「世界史概観・上」岩波新書、1988.9.5.第29刷  ◆世界大百科事典Vol.14,27,29「ユダヤ人、ユダヤ教、民族、人種」平凡社 「随想」のアップロードは次回に譲るとして今日は、問題の一冊、1970年発行のイザヤ・ベ...

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2006/08/13

58:カタカナ用語の難しさ

1:ビオトープとは何だ 私の住む町の自治会から、8月12日に「ビオトープ池を開放する」という案内があった。自治会と市で共同管理している近所の公園内に併設してある池だが、日頃は安全のため柵で仕切って管理されている。 「ビオトープ池」とは何だろうか?その日は是非のぞきに行こうと思っていたのに、お盆用品の買い物の用事が出来て、結局ビオトープ池の説明会を欠席してしまった。この企画は夏休み中の子ども達のためのもので、8月中にあと2回開かれるということだったので、次回には是非参加しようと考えている。 ところで、ビオトープとは何だろうか?私のような一般住民、しかも年配の者には判りにくい言葉だ。勿論、この語に限らずイメージの湧かないカタカナ用語は多い。やむを得ず私はインターネットで検索することにした。 http://www.biotope.gr.jp/info/index.html この、「日本ビオトープ協会」のHPには約355,000の訪問があり、皆の関心の高さが伺われる。この協会は、1993年(平成5年)4月に設立、全国に会員を有する協会ということで、決して新しい言葉ではないことが判った。 「ビオ...

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2006/07/31

57:「奇麗に」は何故「きれいく」となるのか?

☆ 私がよく利用するバスでは、駅近くになると「○○電車は次の停留所で お乗り換え下さい」というアナウンスが流れる。私はそれを聞くたびにこの文脈はおかしいな「は・が」は主語に付くはず。○○電車はどのようにして何に乗り換えようというのだろうか?と笑いをこらえる。正確にいえば、「○○電車にお乗り換えの方」が主語である。日本人である私は勿論、このようなはしよった表現でも理解はできる。だが、「内なる国際化」も進む今日、町には外国人も多い。正確な日本語を学びつつある彼らは、このような表現に出遭ったときどのように感じているのだろうか? ☆ 私のような嘆きを持つ人はいないのか?とインターネットで検索(google)したら http://www.asahi-net.or.jp/~wz4s-kikr/sititenbattou.23.htmに到達した。 日本語教師七転八倒物語-23回 (1999年 4月著者:甲斐切清子)である。詳しくはご当人のサイトを読んで欲しいが、面白い事例として少女A(日本人)の話が載っていた。原文のまま一部を引用して紹介する。 [な形容詞]を何と心得ているのか、「あのタレント、きれ...

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2006/07/22

56:天神祭がやってくる

天神祭は水都・大阪の夏を彩る、日本三大祭の一つといわれている。この 日は天満の天神さんから、中之島とその上流大川一帯が130万の浪速っ子で埋まる。この時期、大阪の暑気はその頂点に達するが、ウナギで精力を付ける土用の丑の日もこの頃だ。その熱気が一層この祭りを盛り上げている。 もう10年ほど前(1994)の7月25日、私は初めて天神祭の群衆の輪の中にいた。例年、「一等桟敷だ」と洒落込んでテレビの前で楽しんで来た私だが、大阪に住んで40数年も経つのに一度も天神祭に足を運んだことがないのは淋しいことだと、NHKラジオの「船渡御に先だって陸渡御が4時に天満宮を出発する」という情報を頼りに出かることにした。 私の反省を含めて、初めて天神祭を訪れる人のためにここで一言アドバイスしたい。この祭はそのスケールが余りに大きいのでどこで何が行われているのか掴めない。何を見たいのか?自分の願望や期待をしっかり決めて行くこと。でなければ期待したほどの満足感は得られまい。 先ずは天神祭便利マップ(★http://www.naniwa-bunka.com/map.html )などで行事の大凡のルートを確認しておくこ...

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2006/07/06

No.55 アイデンティティ…津田梅子から帰国子女まで

2006.06.26付朝日新聞の天声人語子は「アイデンティティ」に触れていた。 今日は私もこの言葉について思い出と意見を述べたい。とはいえ私は日頃安直にこの言葉を使うばかりで専門的定義や解釈を知らない。この稿を書くために慌ててサイトを調べたら多くの文献に出遭ったが、ご高説を付焼き刃として紹介するわけにも行かず、文献としてリンクさせて貰った。 「小学校時代に私の脳裏に焼き付いた郷里の原風景と、方言を含む日本語環境」、これが私の「アイデンティティ」、勿論独善的定義である。郷里を出て60年、異文化との衝撃的出遭いはなく特に価値観や人生観の変更・修正を迫られることもなかったが、厳密にいえば結婚もアイデンティティ論争の種かも知れない。だが我が家では、時に飛び出す私の方言を妻は憐れみの表情で聞いている淡々とした間柄である。憐れみと笑いの対象であろうと方言は私のアイデンティティの一部であれば愛着がある。勿論妻はこれを含めて私のアイデンティティとして認めてくれている。 しかしもし異文化と衝撃的に出遭ったらどうなるか?上記天声人語子は、親の転勤に伴って海外で育ったバイリンガルの子供達の悩みについて触れて...

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2006/06/18

54:写真俳句とは何だろうか

桑原先生の「俳句第二芸術論」の中で青春を送った私は長年俳句と相性 が悪かった。それが20数年前のことだがある日、突然和解出来たのだ。 テレビに映し出されていたこれぞ武蔵野の面影と見た大樹が次の瞬間、方寸の盆栽に変身していた。盆栽の一木一木を大樹に見立てて作る作者の思いの大きさ、素晴らしさ!俳句の17文字も同じではないか!俳句の偉大さを悟った瞬間であった。だが感性の衰えを感じていた私は、以後俳句は味わうものと徹して今日に至っている。 百万言を費やしても表現しきれない大自然の美しさをわずか17文字で切り出し、或いは17文字で大自然の悠久さや普遍性を表現する。それが俳句であろう。勿論そのためにこそ、「定型」、「季語」、「切字」という「表現手段」が存在する。先人の知恵に敬服するところだ。私は前に「俳句の季語は、短詩形の持つ短所を補うべくして生まれた知恵」と考えたこともあったが、いまではもっと積極的に「季語とは感動の深さや広がりを感応的・瞬間的に無限空間に拡大し、17文字をして万語に値する内容にまで増幅させるもの」と考えている。 本来「詩歌」とは、「『言葉の力』で表現する作者の心象(想像力によっ...

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2006/06/05

53:靖国神社からA級戦犯者を分祀すべし

この問題を論じるにあたり、まず薄熙来・中国商務相と、東京大学客員教 授を務めたワン・フイ(汪暉)さんの意見を紹介しよう。 昨日(2006.06.04)NHKのテレビに登場した来日中の薄熙来・中国商務相は概略次のように述べた。「中・日関係は政治面で冷たい関係が続いており、経済、貿易関係に影響を与えている」と懸念を示す一方で「中・日両国は永遠の隣国。長期的発展が両国とアジアの発展のために重要である。しかしこの冷たい関係の背景にA級戦犯を合祀した靖国神社の問題がある。中国政府として13億人の国民を束ねてゆくには、中国人民を長い侵略戦争で戦禍に追い込んだ日本の戦争犯罪人の罪状を許すわけにはゆかない」と。 問題となっている首相の靖国神社参拝が、参拝自体に問題があるのではなく、A級戦犯合祀の現状への強い不満と抗議にあることを強調した発言であった。(ワン・フイ(汪暉)さんの発言は後記する) この種の問題に限らず私の自身の反省として、問題をもう少し演繹的、大局的立場から推論・考察することが必要であると思うことがある。技術者であった私は目前の課題への戦術的アプローチは得意でも、何故その課題を選ぶべきか?...

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2006/05/06

52:大原美術館と倉敷の街見て歩き

先月下旬(2006.04)、私はかねての念願が叶い 倉敷大原美術館を訪れた。 美術館前の倉敷川一体の柳並木の若葉は、なまこ壁の蔵屋敷と調和して心なごむ美しさであった。思わずカメラのシャッターを切ったところだ。思い出は心眼に収めたいところだが、ついつい文明の利器にゆだねてしまう。 私の左胸に埋め込んでいるペースメーカの電池入れ替え時期が近づき、最初の入院時(1999)の日記を読み返していたら、11.03の欄に「見応えあり。是非大原美術館を見たい」と書いていたのだ。「ホリデー日本」というTV番組で「睡蓮を手にした男、大原孫三郎、児島虎次郎」として大原美術館の紹介があった。我が家から2時間ほどで行ける距離に6年半の歳月が過ぎていた。 私が、車も免許も持つという車社会の恩恵を満喫している現代人なら、そんな時間は要らなかったはずだ。ある後輩の話、「どこかへ行こうと思い立って走り出した。気がついたら500キロほど離れた温泉地にいた」などという芸のできる時代だ。 だが、私のような芸のできない人間には、動機、目的地があって行動が伴うのだ。このたびは一寸不純だがその動機がテレビで見た総社の「サンロード吉...

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2006/05/01

51:季節を感じるとき

                                   白髪頭の少年(Gray'-head'ed Boy) などと洒落ても所詮昭和一桁人間。何に季節を感じるか?と聞かれたら、自然、花、衣替え、四季折々の行事、部屋のしつらえなどと答えてしまう。 この季節百花繚乱と、春の花が咲き乱れて目を楽しませてくれる。狭い我が家の庭でも花水木、山吹(白、黄色)、つつじ(白、大紫)、いちはつ、君子蘭、鳴子百合、突き抜きにんどうなどが美を競う。去年佐渡島で買ってきた百合の球根が勢いよく新芽をだし茎は日々たくましく伸びている。一時停車のバスから飛び降りて買ったので品種・品名を聞き忘れた。どんな百合が咲くのか?そのミステリー性が楽しい。新緑では、モミジ(野村も)、ユズリハなどの新緑が美しい。ユズリハはようやく親葉と入れ替わったところだ。 ところで今日から5月。例年...

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2006/04/23

50:真のライバルは誰か?

2年ほど前のことであろうか、私は朝日新聞土曜版の「フロントランナー」に 紹介されたLVJグループ代表取締役社長秦 郷次郎氏の経営哲学を読み、社長の手腕、力量に敬意も表したものである。事業としては確か1400億円ほどの事業に成長させたとあったように記憶している。 しかしそのとき私は、「日本女性はフランスルイヴィトン社に何百億円もの献金をしているのだな」と、ため息混じりのつぶやきが思わず口を出た。パリからブランド品が生まれるなら、京都から世界ブランド品が何故生まれないのか?優れた美術・工芸技術の伝統を持ち、かって帝都でもあり、条件は同じではないか。 そこへ先月の、京都の「一澤帆布」のニュースである。兄弟間で事業継承のもめ事というのだ。私の念願、「京都発ブランド」が既に立ち上がりつつあったというのに、兄弟で本家争いをする時期かどうか!ライバルは兄でもなく、弟でもないのだ。私は愛国心も込めて残念に思ったところであった。詳細は関連のサイトで知ることができるが、私が見たあるサイトによれば、 「京都に『一澤帆布』という大変有名なお店があります。主に鞄などの布製品を製造販売されているお店です。これまで...

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2006/04/17

49:「囲い込み戦略」考

朝日新聞朝刊(2006.04.03)は「関西の私立大、小 学校続々開校ラッシュ」 を報じている。開校の目的がもっともらしく色々書かれてはいるが所詮少子化社会到来対策の「囲い込み」、即ち小学校から大学院までのエースカレータ作戦ということであろう。 朝日新聞朝刊は「会員制サービスaspara」クラブの会員募集を時々行っている。(2006.04.17)付き募集では、自動車や液晶TVなどのプレゼントという餌をぶら下げた戦略である。60年間もの読者である私はこの新聞社からこれまで特別の物的サービスを受けたことはない。それでもこの新聞が好きで浮気もせず愛読している。そういう読者が餌をぶら下げたアスパラ作戦を苦々しく感じているのだ。これで読者を新たに囲い込もうという狙いがあるのであろうか? 1: 関西の私立大、小学校続々開校ラッシュ ◇立命館大学は8日、◇同志社は10日に初めての新入生を迎えたという。 更に2008年には、  ◇関西学院大学が宝塚ファミリーランド跡地に、  ◇奈良学園(奈良産業大学)が奈良市に、  ◇近畿大学は既存の付属小学校(東大阪市)をあやめ池遊園地跡地(奈良市)に。 2010年...

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2006/04/10

48:「看板効果」

ここでいう看板とは本の表題、コマーシャル、ブログの名前などの総称である。その表現の善し悪しとその効果について考えたい。 考える動機となったのは朝日新聞「きょうの論点(2006.04.03)」、藤原正彦さん(お茶の水女子大教授)の著書「国家の品格」について、内田 樹さん(神戸女学院大学教授)が疑問を提示した記事である。単に、看板の善し悪しに止まらず「ものの見方、考え方」で、一考させられる記事であった。 A:書名「国家の品格」について 藤原先生の新聞談話の表題は、「『惻隠の情』広めよう」となっており、先生はまず、バブル崩壊後、日本では政府ばかりか国民までもが、経済を回復させるためなら何をやってもいいと考えるようになり、アメリカからの要求に従うような改革が次々に断行され、貧しいものや弱者、地方が泣かされるという、非情な格差社会が日本にも生まれた…といい、 1:日本のこのような社会現象の元凶はアメリカ流の経済至上主義や市場原理主義である。 2:こうしたアングロサクソンの「論理と合理」を許し続けたら、日本だけでなく、世界全体がだめになる。 3:では日本はどうすべきか。経済的豊かさをある程度犠牲に...

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2006/03/31

47:10年前のドラマ

今朝(20060331)の朝日新聞は経済欄に「世銀が『日本ついに不振脱した』と、29日の東アジア経済に関する報告書に発表」とあった。バブル経済とその崩壊の責任者、銀行、土地開発業者などの後始末を「金利ゼロ」で協力させられた庶民こそ、その功労者である。060324の朝日新聞社説は、米国の碩学ガルブレイスの著書「バブル物語」から「金融上の記憶はせいぜい20年しか続かない」を引用して「バブルの警戒を怠るな」と結んでいる。この「記憶はせいぜい20年…」がよく分からない。人は失敗の記憶が薄れて同じ失敗を繰り返しているのではあるまい。世代が交代し、先人の失敗の歴史を学ばなかったことによるのではなかろうか?と。 では10年前の社会で、どのようなドラマが起こっていただろうか。平成8年(1996)3月15日に書いた一文をパソコン内から探し出した。歴史の一部でもあるが、なお上演中でもある。 ☆「制度疲労」と「材料疲労」という言葉がいま話題となっている。金属材料を専攻した私は、例の「高速増殖炉もんじゅ」の事故原因が、温度計の「さや」の材料疲労につながった設計ミスにあったことはよく理解できるが、制度疲労の問題...

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2006/03/25

46:街角、テレビ、新聞から問題点を探る

我が家の「ぼけ(木瓜)」が漸く咲き始めた。30年ほど経った老 木、ボケがきたのか?恐らく今年の寒さが原因だろう。ともかく冒頭に飾ってねぎらうとしよう。 この度は街角、テレビ、新聞から今日の問題点とその背景を探ってみた。 1: 旗日とは何だ  先日の「春分の日」。我が家の門口に国旗を掲げてから私は約1時間ほどかかる梅田近くのお寺に向かった。彼岸会施餓鬼法要が行われていた間にアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴでは、WBC「日本対キューバ」戦が、日本の「世界一」に向けて刻々と進展していた。帰宅して10対6で勝利したTV録画放送を見る。スタンドに日の丸がはためき、若者の喜びが爆発していた。 一方大阪。お寺からの帰路、私は意識して街の日の丸の旗を探すがついに1本も見付からなかった。我が家の日の丸は肩身の狭い思いをしていたに違いない。私の常識を修正すべき時期がきたのだろうか? 私は「日の丸」や「君が代」にこだわっていうのではない。新しい国旗や国歌が必要だというなら民主主義に従って民意を問うて決めればよい。どこの国にも国旗と国歌があるのだ。問題はその用法である。 人はただ単に祭日だから、卒業式だ...

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2006/03/15

45:箸休

私のBlog、ついつい長文の意見などを書いて我ながら相応しくないと反省している。幸い息切れである。今日は最近思うことをメドレーで書いてみよう。 その1:「実験ノート」 3月10日、夜10時からのNHKジャーナル(ラジオ)で、私がNo.26で触れた先端科学分野での不詳事件の結末を報じていた。 その事件は「産業技術総合研究所ジーン(遺伝子)ファンクション研究センター」で、研究所が世界に向けて発表した論文の基になる『実験ノート』が残っていないことが判明し、この論文を含む12本について『結果を再現できない』という内外の研究者からの声でその事実が判明した」というのだった。東大教授が絡むこの事件の真相は結局十分に解明出来なかったようである。 さて、今日のニュースでは、「今後は副学長を中心に再発防止の対策を進めるが、発表の際(自筆による)『実験ノート』の存在は必要不可欠の条件となる」というようなことであった。 先般、永田議員がお騒がせした「ほりえもんメール」の信憑性問題で明確になったように、「電子情報」は証拠性がない。パソコンがなかった時代の研究者は、実験の手順に従って時系列に、実験記録を自筆で詳細...

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2006/03/05

44:電車内で化粧する女、世界の研究テーマに

1月5日のBlog No.38で、私は電車の車内で化粧をする女性のことに触れた。実は先日、朝日新聞夕刊の文化欄で日本学研究のオーストリア女性学者が「日本人の電車内化粧の問題」に触れていることを知る。今やこの行為は世界的話題となっている。 ブリギッテ・シテーガ先生(Dr. Brigitte Steger、ウイーン大学日本学研究所助教授)は2月下旬京都で行われた「睡眠文化研究会」で、車中や教室における日本人の「居眠り」や「電車内化粧」について発表したという。朝日新聞2006.03.02夕刊大阪3版に、その概要を小林正典記者が報じている。表題は「居眠り、日本は何故寛容?」、最後に「電車内で化粧」についても触れている。しかし先生の解釈や理解は私と大分違っていた。 車中の時間もまた人世の貴重な一部であれば自分が納得して何に使おうと他人に迷惑をかけなければよいではないか?他人にとやかくいわれることは無いというのが一般的了解であろう。 こうしてそれぞれの価値観に基づいてある人は本を読み、ある人は車窓の風景を眺め、ある人は居眠りをしたりと様々である。時に切羽詰まった事情からであろうかせわしい行為の人も...

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2006/02/24

43:「仕返し主義:ミメティスム」について

漸く我が家の梅もほころび始めた。けさ撮った梅のスナップ写真で冒頭を飾る。 さて、今朝のビッグニュースは女子フィギュアスケート荒川静香選手の金メダル受賞だ。全日本人の期待に答えての快挙、有り難うという気持ちである。 今日は難しいテーマに挑戦する。2006.02.21の朝日新聞夕刊に「仕返し主義」今も死なず…「ミメティスム」で読むアジア…A・ブロサ氏に聞く という記事があり私の目を引いた。渡辺延志記者のインタビュー記事である。 初めて聞く難しい表題であるが、私が日頃感じている「日中或いは日韓などの近隣諸国との外交がどうしてぎくしゃくするのであろうか」との疑問に参考になるような内容であったので熟読した。 A・ブロサ氏は「ミメティスム(訳:仕返し主義、模倣の論理など)」という概念を提起するパリ第8大学教授。東京大学に客員教授として2月上旬まで3ヶ月滞在したという。 私なりの要約だが「西欧は隣国との紛争、怨念の歴史などを、『ミメティスム』を超克して解決してきたが、日本を巡る東アジアの紛争にはまだこの『ミメティスム』が生き残っている」というような内容であった。 以下に、渡辺延志記者による同教授の発...

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2006/02/10

42:「言葉の力」への期待

2月9日朝、目が覚めた途端に私はベッドの中で小形ラジオのスイッチを入れる。「言葉の力」というニュースが耳に飛び込んで来る。朝日放送の宇野ひろみさんが自分の番組の中で今朝の朝日新聞の主要ニュースを紹介しているのだ。「言葉の力」とは何か? 文部科学省が「現行の『ゆとり』から『言葉の力』へと指導要領を約10年ぶりに近く全面改定する」というのだ。それって良いことじゃないか。日本に明るい未来が開けるのではなかろうかと私は期待し、素直に喜んだところだ。 「言葉の力」とは一体何であろうか?朝日新聞の1面と2面(解説)の記事によれば 「言葉の力」は中教審が過去1年にわたり議論を続けて来た次期指導要領の「理念」であり、これに沿って近く中央教育審議会の部会に原案を示し2007年度までに全面改定を終えるという。次期指導要領の「理念」の原案は、 「言葉は、確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基盤となる」と説明しているという。 bloggerとして私は用語や表現に文法的誤りがないように、また他者を中傷誹謗するなどの失礼がないようにと日頃気...

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2006/02/02

41:「ボストンに恋して」を読んで… 祝日をもっと有意義に

2月11日の「建国記念の日」が近づいて来た。私にとって毎年単に休日として過ぎてしまうことの多い祝日だったが、アメリカの「感謝祭(サンクスギビングデー)」に触れた冒頭の本を読んだとき、大いに反省した。国旗だけは忘れないように掲揚しよう。そう決心している私である。 ある日私は、近くの市立図書館で「ボストンに恋いして」(山田久美著)という本に出会う。最近読んだ「アメリカ素描」(司馬遼太郎著)の中にも「清教徒感覚」と題してボストンに触れたエッセイがあり、何となくこの街の魅力にひかれていた私は、ためらいもなくこの本をラックから引き出していた。この本で私はアメリカの「感謝祭」と感動的に出会う。 著者は夫君のマサチューセッツ工科大学客員研究員としての留学に同行して、3才の長男とおなかの子供を連れて1年間を共にボストンに過ごす。この時のもろもろの異文化体験を、素晴らしい感性で綴ったのがこの本であった。 「プリマス、ボストンを南へ65キロほど下がったところにある小さな港町である。長い防潮堤の端まで辿り着き、駐車中の車の列越しに彼方に目をやると、かの『メイフラワー2世号』が波静かな入江に浮かんでいるのが見...

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2006/01/26

40:技術変革期の明暗

カメラは自分史を作る優れた道具といえるだろう。パソコン同様ハードだがその手軽さがよい。写真は文字を添えなくても喜びも悲しみも表現出来る。こうして人は家族や友人との思い出を写真に残し、旅の伴侶として連れ出して印象を持ち帰ることが出来る。テーマを決めて芸術写真と洒落込んでは作品作りを楽しむ。労力さえ惜しまなければデジカメではそのむかし、自分でD.P.E.を楽しんでいた頃のように色調や構図を自分好みに仕上げることも出来る。 カメラのメーカーや機種にこだわる熱狂的愛好家が多いのは、道具とはいえ機種おのおのに個性があり、独自の表現力を持つということであろうと、これはそこまでのこだわりを持たない私の推測である。すばらしい性能のカメラが手頃な価格で入手出来るようになったことで私は満足している。 そのカメラやフイルムのメーカーが技術変革の大波を受けて事業存続の明暗を分けている。科学技術が生み出す文明であれば、その変革の波に乗れなかった者は退場せざるを得ないと理解していても、現実の厳しさを痛感する。 コニカミノルタホールディングスが1月19日、「サクラカラー」の名で知られた写真フィルムなどのフォト事業と...

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