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2005年4月15日

2005/04/15

2:長寿の効用

長生きしたらどんな効用があるだろうか?と考える程の長寿ではない。ようやく喜寿というところである。ただ早世した友人・知人に比べると恵まれている。パソコンで好きな絵を描いたり、勝手な文章をBlogに並べたりすることも出来る。ちょっと解らない言葉、人名、地名に出逢ったら、居ながらにインターネットで検索して即刻問題解決である。全てはこの「魔法の小箱」を持てる時代に生きているお陰である。

とは言え、私はBlogの何たるかを理解していない。ある人は言う「blogとは個人による、身軽な情報発信サイト」であると。確かに他人のBlog は軽快で即興的である。軽妙洒脱で時事性もあり「生の証」としての躍動感があるとも言えよう。それに比べて私がこれから書こうとする話題や筆法はどうもBlogに馴染みそうにない。それはよく承知している私だが年齢がそれに付いて行けぬということである。

科学・技術の成果(文明)が文化と結合して、文化に一方向の変質を起こして来たことも事実である。殊に近年その傾向は強い。例えば電子楽器の出現が新しい音楽文化を作る。CGが新しい映像文化を創っている。そういう視点で見れば、食・服飾・美術・装飾・演劇・文学・言語など人の手になる生活全般の文化が、良くも悪くも文明で変質しつつある。

一般に「文明は不可逆、漸進的である」と言われ、本質的に後退はない。しかし現実には公害など、人間環境との境界面で問題を起こし、技術的後退を余儀なくされているものもある。

他方「文化には不断の進行がなく、前進することもあれば後退することもあり、その過去は未来を保証しない」と言われる。言い換えれば文化には華々しい進歩や変化はない。しかし時代と共に変化する人の感性や嗜好による変化がある。こうして何十年かの周期で文化は反復することになる。

長寿の効用の一つ「年の功」が活きてくるのは、長寿が、渺々たる過去と広い視界を持ち得ることだ。そのどこかに類似性と再現性のある現象が含まれている。先人の失敗も含めて、若い人に先人の智恵を伝え得れば幸いというものだ。

さて、「年の功」、英語では色々の表現があるようだが、私が知っている表現は
「sagacity of age and experience」である。「年令と経験による賢さ!」である。ここでその「sagacity」についての思い出を一つ。

私の郷里での出来事。赴任してきた英語の先生がこう言った。「この地はパリ、ニューヨークと並んで英語の辞書にも載っている名にし負う賢者の都市…。にも拘わらず君たちの英語は何ですか!」。皮肉たっぷりのご挨拶に私は赤面しながら、先生は何を指してこう表現したものか?と机の下で辞書をめくる。あった!「sagacity」。先生はSAGA CITYをもじってこう言ったのだった。それからほぼ60年。私の英語の実力は当時のままだ。先生に冥土で会ったとき何と言い訳しようかと目下考え中である。

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