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2005年4月17日

2005/04/17

5:ケインズとシュンペーターの勝負

05tentoumusi

もう10年ほど経ったであろうか。新聞に「ケインズは死んだ?」と思わせるような記事があった。経済学音痴の私でも何となく分かった気にさせる記事であった。経済の市場がグローバル化して、欲しい・必要な「物」が全世界から輸入調達出来る時代となったからである。

もと材料技術屋の私、ケインズ理論などには何の関係も関心も無かった。しかしシュンペーター理論には惹かれるところがあった。伊東光晴・根井雅弘両先生著「シュンペーター」を読んで以来のことである。

イギリスの経済学者ケインズは、「市場経済において政府が積極的に経済活動に介入する政策」を主張してイギリスの発展を引っ張ったという。我が国の通産省(当時)にはこの理論の信奉者が多かったと聞いた事がある。我が国の経済復興期において、通産省の主導或いは介入で公共工事等が推進され、我が国経済が順調に拡大成長したことに寄与したものと私は理解している。しかしこの理論は、必要な「物」が一国内の市場で調達出来、その系内で消費出来るという経済循環の仕組みが有効に機能している国でこそ力量を発揮するもではなかろうか?

いわゆるゼネコン(総合建設業)を例に考えてみよう。日本ほどの高度の技術と生産力を持っていれば建設業に必要な鋼鉄・セメント等の建設資材、発電機、空調機器類、ガラス、什器装備品等が全て国内で調達出来る。その結果市場全体が活性化して経済は成長する。

しかし市場がグローバル化して以来、ゼネコンやその施主は安価で良質な資材、機材を全世界から調達出来るようになり、競争力を持たない国内産業は大きい影響を受けることになる。こうなればケインズ理論は成立しない筈である。現代はまさにその状態にあるとは言えないだろうか。

他方、シュンペーターはオーストリアの経済学者である。「経済発展の中心的要因は、企業家の行う不断の技術革新(イノベーション)による」と主張した。技術自体、そして技術者も革新の主役として躍り出うることを予感させる理論だ。ホンダ、ソニーに限らず、今日飛躍的に業績を伸ばしているメーカーにおいてこの理論は、「経営の基本理念」となっているように私は考えている。(経営者にこの理論への信奉意識が在ったかどうかは別として)

ではシュンペーター理論は、時代と共に劣化することはないだろうか?その解明には両者の本質的相違点を明確にすべきであろう。素人の私には厳密な分析は出来ないが、この両者の相違点として、シュンペーター理論はケインズ理論よりも一段上位の概念であって、解釈や適用の幅が大きいのではなかろうか?と。このことは「政策レベル」か「考え方そのもの」の違いのように思われる。

ちょっと脱線するが、ヘーゲルの「弁証法」はいまなお劣化せずに生き続けているように私には感じられるがこれも、象徴的に表現されている正・反・合のプロセスが、単にプロセスに留まることなく経済発展の仕組みを支える上位概念にまで高められているためではなかろうか?

世相を静観していると、一方に長者、他方に貧者というように二極分化していた社会が、ふと気づけば平準化していることに気づく。平準化の契機として例えば世界的大イベント(オリンピック、大紛争も)などの景気要因がある。こうして一国の民度は、螺旋階段を上るように向上するのではなく、大きなエネルギーで「合」の段階を迎え、その瞬間に一段階浮揚する。私はこのプロセスこそが「アウフヘーベン」ではなかろうかと一人合点しているところである。(05.04.17

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