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2005年4月29日

2005/04/29

12:ミュシャ、カシニョールとの出会い  

louvre松葉一清さんの著書「パリの奇跡」を読んでいて、「スノッブ」という言葉に出会った。

「パリの新名所となっている新都心ラ・デファンスやアラブ世界研究所などでは、知的スノッブを自認するデザイナー然としたアメリカ人達に、何度も出会う」という表現だったが、高校時代に習ったこのスノッブ(snob:紳士ぶる俗物、鼻にかける人、自分の愛好する学術、趣味などを至上のものと考える人)が、50年ほど経過してなお生きていたことに驚いたところだ。それに因んでエッセイの標題を洒落たものにした。これこそがそのスノッブであり、ペダンチック(pedantic、知ったかぶり)であろう。

標題のこの二人の画家、アルフォンス・ミュシャ展は平成2(1990)年3月、大阪難波の高島屋グランドホールで開催された。アール・ヌーヴォーの代表たる彼の、78年の生涯の作品から約300点を集大成したこの展覧会は、確かに見応えのあるものだった。

他方、ジャン・ピエール・カシニョール展は同年4月、大丸ミュージアム・梅田で見た。来日中の彼が、サイン会を開いてサービスしていたこの展覧会は、約30年に亘る彼の画家活動の中から、「花」をテーマとした100号以上の大作約80点が展示されていた。花と美女、そこにはフランス独特のエスプリが満ち溢れており、モデルからそこはかとなく漂うパリの憂愁に私は思わず引っ込まれ、立ち去りがたい気持ちにさせられたものだった。

確かに、大都会に住む者の恩典の一つは、居ながらにしてこのような大型の絵画展を見る機会に恵まれることだ。昭和62年(1987)秋、京都近代美術館で見たカンディンスキー展の作品102点は、フランスはポンビドー・センター、ドイツはミュンヘン市立美術館レンバッハハウスから、ニューヨークはグッゲンハイム美術館からと、三大コレクションを中心にその他7カ国から借り出されたものであり、私は観衆に押されるようにして約1時間で世界の美術館を駆け巡った。見足りない思いの作品もあり私は群衆内を逆行してもう一度鑑賞したほどだった。何よりも満足した点は、彼の50年にわたる作品が作画の年代順に鑑賞出来、作風の変遷が明確に把握できたことだった。

平成元年(1989)3月、奈良の県立美術館で見たルノアール展も国内16機関、アメリカ16機関、フランス5機関、スイス、オランダ、ノールウエイ各1機関、合計40機関から借り出された作品約150点が並び、ルノアールの本質が掴めたような錯覚を覚えるほどの満足感を味わった。

しかしこの種の展覧会は所詮根を持たない「借り物文化」であり、徒花ではないのか?大都会の虚飾、いや、これこそがまさしくスノッブな都会人向きの、アクセサリーに過ぎないのだと、どっかに冷めた思いがあった。

勿論、日本が近代西洋文明を学び、受け入れてからまだ百数十年、国内作家の作品を含めてもこの種の文化財の蓄積が少ないのは当然である。それは解っているのだが、そういった理屈や僻みも言ってみたくなる。

松葉さんが紹介しているパリのルーブル美術館、ポンビドー・センター、オルセー美術館といった名だたる美術館は、まさに世界遺産を持っている。単にパリ市の誇りではなく、人類の財産だ。松葉さんは言う。今日の姿はフランスの歴代大統領、ポンビドー、ジスカールデスタン及びミッテランが国家の大プロジェクト(グラン・プロジェ)として推進してきたお陰だという。

絵画などの優れた美術品は、世界の富の所有国に流れると言われる。ただ、第一次世界大戦中は、ドイツの砲火でパリの絵画価格が下がった時、イギリスの経済学者ケインズが中心となって、フランスの国際収支を助けるという名目もあって、名画を買いあさったともいわれているそうだ。

しかしその後、ヨーロッパからアメリカへ、そしてバブル景気最盛期の平成2年(1990)当時は、金満国日本の個人、各地方自治体美術館などが競って世界の名画を買い集めるという潮流の中にあった。

2004年7月、金沢に墓参に行った折り県立美術館を訪れた。前田家寄贈の国宝級諸作品は確かに見ごたえがあった。この地出身の作家の絵画や伝統文化に根ざした漆器、金箔工芸、陶磁器などの諸作品をゆっくり見学出来たことは嬉しかった。

だが、この展示室の深山幽谷のような静寂さは何だ?平日の昼間という事情もあろうが、広々とした少し重苦しい展示室には2,3人の見学者しかいない。これでは管理運営が厳しかろうと心配して、帰りに受付で入場者数を訊ねた。「年間2030万人規模、最近は減少傾向です」という。

2004年4月に訪れたルーブル美術館の盛況振りに驚いた私は、インターネットで入場者数を調べたら「1日4万人」と出た。但し孫引きもあるらしく、多くのサイトが何れも「4万人」とある。(先日のテレビ情報、確か年間900万人程度と)勿論、入場者の主体はパリの観光客であろうが、足場の良さ、宮殿としての豪華さ、200年にも亘る美術館としての歴史的実績、19世紀初頭あたりまでの超一流美術品30万点を所蔵するとあれば、美術ファンならずとも一度は訪れてみたいところ。人気のモナリザ像の前など、観客同士が場所取りに小競合をしていた。フランス人ガイドさんは、スリの恰好の職場だとしきりに警告する。この盛況には、18歳未満のフランス人は入場料無料という政府の温情も貢献していることであろう。

そんなルーブル美術館と日本の地方都市の美術館とを比較すること自体ナンセンスだが、その明暗は余りにも画然としている。実はこの県立美術館、足場の良さでは兼六公園の隣接地という絶好の地の利を持つ。だが、足場さえ良ければ美術館が盛況となることはない。

しかし、○○展、××展というようなイベントでは、期間中の盛況に目を見張る。いや、時にはうんざりする程の行列だ。日本人はイベントに弱いのであろう。

今日、行政は美術館や博物館などの公的機関を公共サービス機関だから赤字も止むを得ないなどと、呑気なことを言える時代ではない。日本の美術ファンが少数派というならなおのこと、イベント企画や、リピータとして呼び込む戦略が必要だ。ディズニーランドではないが、美術館も魅力的企画を打ち続ける必要がある。利益が出るようになればその時こそ学生は無料として、ファンサービスして欲しい。

金沢は200410月「21世紀近代美術館」を開設したと聞く。その美術品が作品自身で自己を主張出来る展示の「場」が欲しい。見せて触らせてファン層を増やそう。そういう開けた展示場建設を、という思いで「21世紀近代美術館」が誕生したのであろう。美術品が客寄せパンダとしてデパートの展示場に取られるのは美術品にとっては肩身が狭かろうし、美術ファンとしては無念の思いもある。

しかし問題は建設費の償却だけでは終わらない。入場者が少なければ維持費は税金での負担となり、いつか箱物行政として破綻する。

私はまだ近・現代美術品の良さ・美しさが理解出来ない人間だ。「美しい」と実感している美術品は1700年代~1800年代を中心としたもの。私の好みが標準とは言わないが近・現代美術品が理解され愛好されるにはまだ100年以上のタイムラグがあるのではなかろうかと?

美術品を種類、時代、流派(潮流)などで層別せずとも、自動車製造ラインの「各車種の相乗り」方式を見習ってはどうだろうか?いつか時代が代わり、近・現代美術品が理解され愛され、多数のファンが押しかけるようになった時点で「専門美術館」を建設しても決して遅くはなかったと思うところである。

とはいえ、誰かが覚悟を決め責任を持ってその時代、時代の近・現代美術品を蒐集して行かなければ、集大成は出来まい。問題は収納場所である。蒐集と常設展示館建設とは別問題のようであるが、増え続ける蒐集品の収蔵をどのように解決するかは確かに問題である。私の結論を言えば当面、極力厳選して購入すること。その鑑識眼こそが将来問われるところであろう。(050429

松葉一清「パリ」の奇跡:講談社現代新書1990(平成2年)発行

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