« 2005年10月6日 | トップページ | 2005年10月26日 »

2005年10月24日

2005/10/24

26:ノーベル賞雑感

26ukituriboku 2005.10.04付き朝日新聞夕刊(科学欄)によれば、政府は今後5年間の科学技術政策の基本となる「第3期科学技術基本計画」の答申案に「21世紀前半にノーベル賞受賞者を30人程度排出することを目指す」という目標を掲げたという。反対論として「賞は結果であり目標にすることはおかしい」という意見もあったというが結局了承されたとあった。

「…科学技術基本政策」というからには、科学技術分野のみが対象であろうしそれ以外の、実績のある文学賞や平和賞は含まれず、勿論経済学賞も含まれないとすれば、この目標は厳しいことを予感させる。
とはいえ、近年その科学技術政策の推進によって研究者層は厚くなり、広がりも出てきたと思われることから、いっそうの推進によって夢を実現して欲しいと願うのは私だけではあるまい。

しかし10月18日の朝日新聞(夕刊)は、その期待に最も近い研究部門と思われる「産業技術総合研究所ジーン(遺伝子)ファンクション研究センター」での不祥事を報じている。研究所が世界に向けて発表した論文の、その基になる「実験ノート」が残っていないことが判明したという。この論文を含む12本について「結果を再現できない」という内外の研究者からの声でその事実が判明したというのだ。
私は念のため他紙もチェックしたところ、読売新聞が既に(09.28)「揺らぐ論文の信頼性」として同一事件を報じていた。
この種の不明朗な事件はこの5月阪大(医学部)の、「画像データの不正操作」として報じられたばかりであった。

「実験ノート」が残っていなければデーターのでっち上げ、盗用などの疑いがかかっても弁明できないことは研究者、技術者の常識の筈である。
「実験ノート」不在は、好意的に解釈すればパソコンをノート代わりに使いデータを直接時系列に打ち込むという日常がこの失態に繋がっているのではないだろうか?しかし「遺言」がワープロ文書では認められていないことと同様に、電子情報はいつでも改竄、追記、訂正ができるできることから、信憑性や発表日時を明確に証明すべき科学、技術の分野ではあり得まい。本人の成果であることを証明するには時系列に記録された肉筆のデータノートでなければなるまい。

しかし不正や疑いのかかる操作とは、本人にとって何であろうか?背景に先駆けの功名心争いがあったとしても、明らかに研究者の自殺行為である。しかしこの種の事件は日本に限らず、欧米先進国、中国でも発生し、対策が講じられているというから、「名誉」とは麻薬的誘惑力を持つものであろう。

折角の研究成果が、発表が遅れたばかりに他人の栄誉となってしまったという世界の悲劇例が城坂俊吉氏(元松下電器産業副社長)の「科学技術史の裏通り」に明らかにされており、研究者には名誉も蹉跌も誘惑もつきまとっていると見るべきであろう。

1990年ころのこと。イギリスの科学雑誌ネイチャーの東京駐在員アラン・アンダーソンさんが「日本人の独創性」と題して新聞に投稿した記事の中に、「専門バカ」という表現とその例としてある大学教授が槍玉に挙がっていた。「私の経験から言えば、日本には西欧より専門バカが多いようだ」と彼は言うのだ。

「(西欧の)著名な科学者には専門バカは殆どいないようだ」と言い、ノーベル賞を授賞した18名の学者にインタービューし、その後親しく付き合ってきた学者に共通した顕著な特徴は、「さまざまな分野に関心を持ち、その一つ一つに旺盛な好奇心を示したこと。チェス、音楽、夢、ギリシャ哲学、生命の起源、人間の記憶組織、はてはハエのたたき方にまで話が及ぶことがあった」という。更に、「彼らが異口同音に言ったことは『他の分野との関連性とか、類似点に注目したとき、自分の研究課題を解く重大なヒントが得られた』」と言ったというのだ。

勿論、好奇心のみでノーベル賞に値する発見やそのヒントが得られる訳はない。日常の研究努力と熟考が問題点を発火の「臨界温度」直下まで高め得たこと。異分野の現象から得たヒントが一気に臨界温度を突破させる力となったのであろう。
結論としてアンダーソンさんは日本人の視野の狭さや専門バカの生まれる原因は「暗記重視の教育にあるのではないか?」と言うのであった。今様にいえば某国の内政干渉のような嫌みもあるが、これは一面の真理であろう。

ノーベル物理学賞受賞者、江崎玲於奈さんはノーベル賞授賞の条件を五つ挙げている。おおよそ次のような表現であった。
  ①今までの行きがかりにとらわれない思考と行動
  ②他人の影響を受け過ぎない
  ③捨てることの大切さ(何が重要か、特に情報の取捨選択)
  ④闘うという姿勢
  ⑤ハングリー精神(満足感、安心感に対する)
淡々とした言葉ながら、研究への取り組みの何と冷徹・厳格であろうか?己の信ずる道を孤独に耐えて前進してこそ前人未踏の新しい独創的業績を上げ、自らを他から厳しく差別化しうるのであろう。最後は自分の才能だけが頼りである。この五条件はその差別化の必須条件であろう。

ではアンダーソンさんの言う旺盛な好奇心はこれら五条件とどういう関係にあるのであろうか?
アンダーソンさんの条件は必要条件ではあるまい。しかし、研究が壁にぶっつかり前進も後退も出来ない時、最後の重要なヒントは、一見遊びとも思われる余裕の中から生まれるということであろう。柔らかい頭こそが発想の源泉ということと思われる。

政府が教育ママ的に「良い研究成果に研究費を増額する」などのインセンチーブを付けてノーベル賞受賞増加対策を実施しても、若い学者・研究者自身がモラルと誇りと謙虚さとを持って研究に取り組まない限り成果も栄誉も得られるものではあるまい。

読売は研究現場の声として「『モラル』頼りだけではだめではないか」(東大大学院平尾公彦工学系研究科長)と報じている。これが人間のサガというものであろうか?悲しさよりも空しい。(20051024)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2005年10月6日 | トップページ | 2005年10月26日 »