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2005年11月3日

2005/11/03

29:文化の日に思う

29 毎年「文化の日」を迎えて思う事がある。香り高い菊の季節の行事であるだけに、「文化」といえば文学、音楽、絵画、宗教その他の、人間の精神活動で生み出された作品が思い浮かぶ。しかし文化勲章授賞者には自然科学分野で業績を挙げた方々もおられ、文化の幅の広さを感じる。

たまたま、「言葉と文化」(鈴木孝夫著)という本を読んでいたら、私のような狭い解釈の誤解に触れ、「…しかし私がこの本で『文化』と称するものは、ある人間集団に特有の、親から子へ、祖先から子孫へと伝承されていく行動、思考様式上の固有の型『構図』のことである」とあり、更に、「文化とは人間の行動を支配する諸原理の中から、本能的で生得的なものを除いた残りのもの、伝承性の強い社会的強制(習慣)の部分をさす概念である」と言い替え「文化をこのようなものとして捉えることは、今や言語学や人類学の領域では常識となっている」というのであった。

確かに、こういう文化があることは理解出来る。食は文化であり、学校教育は文化を教えているという表現もあり、思い当たるところであった。

しかし、まだ理解出来ないのが文化勲章の文化である。勿論、新聞は文化の日に当たり、「芸術や科学、伝統芸能など、『文化』のさまざまな分野で…」と解説している。では科学は、文化の代表格の芸術と同格であろうか?

辞苑(新村 出、昭和十五年版)は「文化とは、人類の本来所有する理想を実現してゆく人間活動の過程。芸術・道徳・宗教を初めとし国家・法制、経済等のすべてはその所産である。文明が一般に外的・物質的発展を意味するに対し文化は内面的、精神的なものを意味する」とある。この表現は私を納得させる。

しかし国語辞典(昭和五十八年版)は「文化とは、人類の理想を実現してゆく精神の活動。技術を通して自然を人間の生活目的に役立てて行く過程で形成された、生活様式およびそれに関する表現」とある。「技術を通して…」という表現が新しいが、疑問が残る。

ここまで書いてきてメモを整理していたら、新世紀大辞典(1968年)の「文化」が見つかった。

「文化とは人類のあらゆる時代を通じ、人間が自然に働きかけることによって、自らも自然状態から脱して作り出して来た物質的、精神的な一切の成果。


但しフンボルト以来、物質的文化を「文明」といい、精神的文化を「文化」と呼び分けることが多い。ちなみに、文明とは「生活、特に衣食住のための技術・秩序が改善された状態、物質面において人間生活が発展した状態」とある。

私が小学校で初めて教わった「文明」は「文明の利器」という表現であったように思うが、この文明はフンボルト、即ちドイツの言語学者であり、政治学者であり、文人でもあったヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767~1835)の分類に従ったものといえよう。辞苑の文化もこれである。                                                

今日政府が用いている「文化」の定義は、フンボルト以前の、よりオーソドックスな、精神面、物質面を分けない文化である。新世紀大辞典によって私の戸惑いも解決出来たようである。原文:1991(H03)12. (2005.11.03)

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28:新聞は槿花に甘んじるのか?(新聞週間雑感)

28 私がblogを始めた理由は、「活字人間」だからというのが本当の理由ではなかろうか?テーマを決めて思いを練って文章を書き、推敲し、関連のある写真も揃えて画面をデザインする。「右手にパソコン弓手にデジカメ」というスタイルは、どこか最近の記者さんにも似ていないだろうか?

★槿花とは むくげ、ふようのように、朝咲いて夕方萎む花。新聞はどこか槿花に似てはいないか?
新聞人は情熱と丹精を込めて紙面を作る。「新聞、紙面は、不死鳥だ。厳然として生き続ける」との思いであろう。しかし普通の家庭では、翌日の新しい紙面の登場で昨日の紙面は退場する。読者は現状の新聞スタイルでは、新聞の情報を再利用することが難しいのだ。
「新聞は活字文化」というような新聞人の思いは、テレビ、インターネットなど新しいメディアとの競合の中では理解されにくい一方的思いであり、変化への認識不足ではなかろうか?以下は朝日新聞の読者の一人としての、新聞への愛を込めた苦情、期待、願望である。

★今年も10月15日から1週間「新聞週間」が開催された。今更何で新聞週間か?という疑問もあるが、読者の新聞への期待、不満なども見えて来るし、新聞社の姿勢も窺われることからそれなりの意味はあろう。
今年はさすがに「再販制度にご理解を(戸別配達の堅持のためにも)」などという言い訳は見あたらなかったが、相変わらず「活字文化」の旗頭を自負して、記事の端々に「文字・活字文化」という語句が躍っている。平成7年8月19日号の朝日新聞に「活字文化懇談会」の報道があり、新聞、書籍、雑誌を統合した上位概念が「活字文化」であることを知ったが、その解釈は今も変わっていないようだ。

★読書週間初日の10月27日が「文字・活字文化の日」と定められたこと。定義によれば「文字・活字文化」とは「活字や文字で表現された文章を読んだり、書いたり、出版したりすること、あるいはその結果生まれた出版物などの文化的所産である」といい、この7月参院本会議で可決、成立した法律「文字・活字文化振興法」…「国民が本や新聞などの活字に親しみやすい環境の整備を図ることを目的とする」がこれを支えるという。

★しかし今日一般に「活字」とは「手書き以外の手段による文字を活字というように、より広い意味を獲得している」といい、パソコン画面の日本語文字は(外国語も)「活字」に包含されていると思われる。新聞だけが文字・活字を代表する文化的所産というには当たるまい。
私は、新聞社はそういう表現にこだわらず「情報の発信企業として事実を公平・公正に報道すると共に、分かりやすく解説、詳述するなどの使命を果たして欲しい」と、念願している。

★ところで各メディアはそれぞれ特徴を持つが、表現手段でいえば
 ☆新聞は文字を主体に、補助的に映像を取り入れており、
 ☆ラジオは言語と音声情報の媒体というべきであろう。
 ☆インターネットは文字、映像情報を主体として構成され、若干の音声情報も加味されている。                                                                                                                

 ☆テレビは映像、言語、文字情報で構成されている。
このように文字はほとんどのメディアに共通した情報構成の要素となっている。

★次に新聞がアンケートでどんな評価を受けているか、以下に新聞協会調査の「メディア別評価*」(2002.10)調査結果を示す。評価項目は31項目であったが、主要14項目を引用。数値は上位3位までを示す。複数回答、n=3,873である。ただし、どの程度の層別(年齢、性別、新聞のみ、新聞とインターネット、インターネットのみなど)がなされているかは不明。

 ☆新聞が1位であった項目
1「社会に対する影響力」新聞55.8%  テレビ(NHK)52.6  テレビ(民放)48.0
2「知的である」           新聞50.5%  テレビ(NHK)45.9  インターネット14.5
3「教養に役立つ」         新聞47.5% テレビ(NHK)44.8 インターネット18.4
4「情報が詳しい」          新聞39.4% テレビ(NHK)34.2 インターネット24.0
5「全体像把握できる」    新聞37.8% テレビ(NHK)27.3 テレビ(民放)19.6

 ☆テレビが優位な項目
6「手軽さ」      テレビ(民放)54.5% 新聞45.1   テレビ(NHK)38.7
7「正確さ」      テレビ(NHK)52.1%   新聞45.0   テレビ(民放)16.3
8「信頼性」     テレビ(NHK)50.1%  新聞40.5    テレビ(民放)11.3
9「情報速度」  テレビ(NHK)47.9%   テレビ(民放)40.6  インターネット38.8
10「専門性」    テレビ(NHK)27.4%   インターネット26.5  新聞21.6

 ☆インターネットが優位な項目
11「情報量」      インターネット43.7%  新聞42.6            テレビ(民放)32.8
12「時代先取り」 インターネット39.2%  テレビ(民放)24.0 テレビ(NHK)14.5

その他
13「中立・公正」 テレビ(NHK)41.4%  新聞23.0 テレビ(民放)5.7
14 「楽しさ」      テレビ(民放)63.2   雑誌30.7 インターネット23.3

このように見てくれば、新聞は情報の早さ、楽しさ、時代先取り性などでテレビその他に席を譲っているとしても、メディア界の重鎮としてその存在を示しているように思われ、常識的な、結構いい線を行っているという印象である。もう、活字文化の代表など言わず、競合するラジオ、テレビ、インターネットには無い特徴を武器として更に存在感を示して欲しいと願望するところだ

★ところで平成12.6.21制定の新聞倫理綱領2000は次のようになっている。
「国民の『知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。『新聞』はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい」と。
では先般朝日新聞社の長野支局で発生した「虚偽メモ事件」、あるいは「10月25日産経新聞の報道写真『月とコウノトリ』合成写真」は何であろうか?新聞は「高い倫理意識」を持つことを誇り、アンケートでも高い評価を受けながら、一方で社会的信頼を失墜し読者の信頼も裏切っている。上記倫理綱領の『新聞』という文字を『テレビ』に置き換えても異論なく読めると言いたい。

★「新聞週間」に発行された朝日新聞の特集号には虚偽メモ報道への反省と、各界の識者の新聞への注文が掲載されていた。

井上ひさしさんは「ニュースの速報性ということではテレビやインターネットにはかなわない。そういう時代であるから新聞は『真実』を伝えることで勝負するしかない」。続けて「今は多くの新聞が時流の広報紙となっているが、時流に乗るなら、主張するのも簡単であるが、勇気のいる『ちょっと待て』、『ちょっと疑問』と考えて自社の考えをしっかり提案して欲しい」と述べている。

中村紘子さんは「多様化した価値観の中であふれる情報にメディアがどう対応するか?が問題だ」。「新聞がテレビやインターネットと全く勝負にならず一呼吸遅れるところに新聞の長所があると(考え)て、そこに人の心を引きつける、信頼される何かを盛り込んで欲しい」と要望。同時に、「読者自身も客観的目を育てて欲しい」と結んでいる。
読者は新聞社が元々悪質な虚偽報道を行うなど考えもせず、虚偽情報を見分ける程の鋭利なセンスを育てて来なかったが今回の事件は、淋しいことだが「疑うこと」を学ばせてもらったと感謝したい。

★次に各メディアの機能面で比較してみよう。
 ☆新聞は自分の好きな時間帯に、自分のペースで読めるし、再読、精読が可能である。携行して移動中や異動先でも読むことも出来る。さらに鳥瞰的に一瞥して情報を全般的に把握することも出来る。
ただ、短所は読者が新聞を資料、文献として利用することに新聞社は全く配慮していない。新聞社では一応縮刷版を用意し図書館等で利用可能とはなっているが検索機能は無い。

 ☆ラジオ、テレビの問題点は原則として、その放送時間帯に在籍しなければならないこと。ただ、各種の記録用機器もあり、情報コンテンツの再利用の方法は確立されている。

 ☆インターネットの特徴は、将来は別として、現状でいえば、膨大な情報の宝庫(若干の玉石混淆あり)から必要な情報コンテンツを瞬時に検索してパソコンに取り込み活用出来ることである。新聞、ラジオ、テレビと関連した情報も収集可能であり、利用価値という点では最右翼にある。

最後に新聞への希望を述べたい。
執筆者の顔の見える新聞作り
 ☆ラジオにはパーソナリティーや、親しみのあるアナウンサーなど個々にファンがついており、声も聞こえることから既に顔は見えているという感覚である。また、屋外でのファンへの感謝行事などもしばしば開催されて一層親密感を増幅している。
 ☆テレビでは勿論アナウンサーやパーソナリティーの顔が見えており親しみがある。
 ☆その点新聞は一番遅れている。たとえば朝日新聞では記者・編集者の顔はこれまで殆ど見えなかった。読者は、誰が執筆したかも分からない記事を読まされており、記者への親密感は湧かない。署名記事方式の採用を願望してきた読者の声を頑として無視し続けた新聞社が最近漸く軟化し始め、新聞週間特集号(2005.10.18)に「より身近な紙面へ署名増やしました」と社報にあった。対応の遅さに呆れるばかりだが、一応歓迎するとしよう。
恐らく新聞社は、記者の顔以上に立派な「社風」の存在を主張したかったのではないかと思われるが、その主張は同業者がライバルであった時代のことである。
新聞が「文化」を主張するなら署名や顔写真も添えて、堂々と責任ある記事を書き、意見を発表して貰いたい。「文化とは作者の顔の見える作品」であろう。

情報価値を高める工夫
現在の紙面構成を抜本的に変更してはどうかという提案である。新聞の有用期間、すなわち新聞を手元に置いて再読利用出来る日数は平均して1週間程度という統計があるが、実際には翌日廃棄物置き場に移されている。仮に1週間ほどの猶予期間があっても現状の紙面構成では目的の情報を検索する機能はなく、記憶を頼りに探すだけである。
どういう方法がベストか?私にも名案はないが、各記事に情報コードがあれば、読者は関心のある記事のコードを読み取っておき、新聞社の情報バンクから分譲して貰う方法など、何らかの方法が欲しい。
どの記事に情報価値を置くかは個々人の問題であり対応が難しかろうが、一般論で言えば人事情報、企業情報、図書案内、求人情報などの頁は広告をはずして収集し易くし、賞味期限の短い広告は、「広告頁」で纏める方法などを希望する。、

読み易さへの工夫
紙面レイアウトの問題である。時事性の少ない文化面の記事は事前のレイアウトが容易ということからか、整然とした組み方となっているが、急いで読みたい政治、経済記事では時間的制約からか、出入りの多いレイアウトが多く、読みにくい。こういう記事はスクラップする際の苦労もある。

安定読者確保対策
アンケートによれば、新聞の購読理由は親の代からの延長との回答がが多いという。いったん読み始めると愛着が生まれ他紙への乗り換えは少ないということである。しかし仮にA紙は、本紙に「切り取り(或いは抜き取り)可能な小学生新聞(頁)」が存在するとすれば、子供の希望で新聞を切り替える人もあろう。こういう対策は、現在並びに将来の安定読者確保に貢献する筈である。新聞が強調する「活字文化云々」はこうした頁で紹介し、将来のNIE実践につなげて欲しい。

双方向性の充実
この機能はインターネットの独壇場のように思われるが、新聞はテレビ、ラジオのような放送と異なり、保存性のある文字による記事のため、疑問や質問、反論などを生みやすい性格を持つ。こういう時こそ読者と新聞社とを双方向化するチャンスである。記事によっては既にメールアドレスがあり、その配慮が感じられる。そういう記事の執筆者は丁寧な回答を返してもくれる。やむなく新聞社広報部へ質問したときは「無視」という横柄さを味わうことが多かった。新聞が新しいメディアへの危機意識を持つのであれば、主要な記事について、或いは少なくとも頁ごとにメールアドレスを設けて双方向化への努力をすべきである。(2005.11.03)

*新聞アンケート情報源:
http://www.pressnet.or.jp/adarc/data/1br/16.html

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