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2005年11月6日

2005/11/06

30:新聞週間雑感(その2)

030hototogisu ★日々新聞は有用な多くの情報を提供して呉れるが、それだけに過去の情報はすぐ埋もれてしまい、しかも再利用が難しくなる。「槿花」に甘んじてよいものか?新聞よ、情報価値を高める工夫をして欲しい!とそう書いた。この思いは私のように実社会から引退したbloggerの個人的な願望であろうか?私は時に苦労してスクラップをしている。今日はそれを元に、「新聞週間雑感の続編」を書いている。

★朝日の「新聞週間特集」号に、「新聞への注文」を書いた井上ひさしさん、中村紘子さんの意見は先日(11.03)紹介したが、今日はネット掲示板「2ちゃんねる」の管理人西村博之さんの「注文」を紹介しよう。
この若手代表の、「意見よりファクト」をと題した新聞社への注文を要約すれば
①新聞は正確(である)との幻想は(一家に一紙しかなく)読者が疑う材料を持っていなかっただけ。
②新聞が優れているのはファクトを集める能力
③新聞に求めるのはファクトを集める能力への特化
④社説のような見解や分析は不要
⑤若い世代が新聞を読まなくなったのは日々生きていくための糧にならず、生きていくのに困らない
⑥勝ち組・負け組という言い方に象徴されるように、階層格差が広がっているのに、これぐらいは知っておいて欲しいという考え方は間違っている。
⑦新聞の復権は新聞が無くては困るという幻想をもう一回植え付け直せるかに。
⑧人が情報にお金を出すのはひたすら面白いとかユニークな思想だとか、読まなければ確実に損をするとかいろいろある。…

★この意見は、この頃若者と接する機会がない私には面白かった。内容につては、我々だって若造の時はこの程度のことしか言えなかったように思う。ただ当時は対外的に意見を述べる場がなく、友人同士で討論する程度であり、特に恥を掻くようなことは無かった。しかし今日、某新人国会議員の発言をテレビがあれだけ追っかける。「ユニークで面白い発言」というのではなく、無知無教養では?と思われるような発言を面白がっているのだ。やり玉に上がっている新人は全く気の毒でもあるが、不用意な発言は慎んで欲しい。

★西村管理人の意見「新聞社はファクトを集める能力への特化」についての私の意見を言えば、日本の各新聞はロイター通信社や共同通信社などの情報配信企業と契約して入手した情報もあり、「ファクト」はこういう企業に負うところが大きいといえるだろう。
ロイター通信社の例でいえば、情報の収集配信だけでは必ずしも経営安定とは行かぬという歴史もあったようで、新聞社が自ら「特化」するという選択肢はあるまい。
新聞社のアキレス腱がその一次産業的物流手段にあればあるほど、新聞社は情報を加工し付加価値を付けるはずである。新聞社は既に電子版を発行しており、インターネットの普及如何によっては自らネット化するという選択肢があるかもしれない。

★11月4日の朝日新聞オピニオン欄「三者三論」に、サイバーエージェント社長藤田晋氏の「放送と通信の融合」という意見があり、そこに「信憑性を欲しがるネット」という表現があった。
「ブログに象徴されるネットは有象無象のコンテンツの集まり。掲示板2ちゃんねるが多く閲覧されても、コンテンツに信憑性がないために(そこに掲示された)広告自体も怪しいと思われてしまう。
(放送の)信頼できる番組や記事を従来のメディアが(インターネットに)提供することで、広告媒体としての多大な価値をネットが持てるはずだ…」という。テレビ会社が狙われるゆえんである。

★西村管理人の発言は、生活に責任の伴わない世代の代表としての考え方ではないか?。「人と争わず、無理をせず、汗を掻かず、無難に生きて行けたらいい」と考える独身者やパラサイト人間の言動であろう。今日の日本は豊かすぎて、ハングリー精神を持つ必要がない、いや、持つことさえ難しいか、或いは憚られるというのであろうか。

★戦中、戦後の苦難時代に遭遇した我々の青春が異常であり、異様であったことは認めよう。学業を割いて農場でイモを作り胃袋を満たす。脳を満たす印刷物も乏しく、手垢に汚れた本も借りて読む。戦後漸く、用紙の配給を受けて出版出来るようになった出版社、たまたま入手出来た友人の雑誌「世界(岩波書店)」や「人間(鎌倉文庫?)」をみんなでむさぼり読んだ。心和ませるレコードは入手出来ない。洋楽はやむなく音楽喫茶でリクェストして自分の番を待って聞く。この時期、戦後復興のため皆が必死になって働いた。「自由や幸福」はそういう労働の努力で入手するものだった。

★若者の言動には驚くが、しかし人は年齢と共に、或いは守るべき家族を得て、自己の責任を自覚する。職業上の責任も年齢や地位と共に重くなり、その自覚と共に人は成長してゆくはずだ。自然界の生物の厳しい生存競争のドキュメントは、人間にも「生きる」ことの難しさと、尊さとを教える。
ただ、ドキュメントに感動出来ない人間への処方箋を残念ながら私は知らない。(2005.11.06)

ロイター通信社:
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロイター
共同通信社:
http://ja.wikipedia.org/wiki/通信社
サイバーエージェント:
www.cyberagent.co.jp

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