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2005年11月13日

2005/11/13

33:新聞週間雑感(その3)

最近新聞(朝日)に署名記事が増えて嬉しい。新聞週間の特集33Eikandou-caption号に「より身近な紙面へ署名を増やしました」とあり、その方針通り着実に増えてきた。例えば2005.11.08の夕刊、大阪3版の9頁「科学」欄は7記事全部が署名記事だった。(正確に言えば一つは大学教授の寄稿であったが…)。ただ、科学欄などは特例であろう。全体で今後何%位まで行くのか、今後を注目するとしよう。

だが喜ぶのはまだ早い。読者の「署名記事を!」という多年の希望を頑なに無視し続けた新聞社が最近変身してきたその理由は何であったか?公式には「顔が見える、より親しみやすい紙面になるように」とある。だが、そういう理由なら新聞社発足時の、125年ほど前から言えることだ。

読者の訴えは、明らかに個人的意見やルポでありながら署名もなく、時に「符号」で誤魔化した記事を読まされることへの疑問と不満である。事件・出来事の報道記事のように、個人的意見を差し挟む余地の無い客観的事実にまで署名を求めるものではない。また取材源の秘匿を必要と思わせるような記事にまで署名を求めているのではない。

私の推測だが新聞社がこだわった理由の第一は、「記事の中立性」、すなわち記事は本来新聞社として発表するもの。「個人色は出すべきでない」という一種の信条、信念に基づくものではなかったかろう?と。更にいえば新聞は発足時の「社会の木鐸的使命感」、「知らしめる」という態度、天声人語も「天に声あり、人をして語らしむ」というが、そういった体質の残渣があるように見受けられる。

しかしそのほかに「負」の予測があったのではと推測する。何百万人という読者を抱える新聞であれば、誤報やその他のミスで質問や意見が殺到したとき新聞社は一々対応する自信が無いと。まして署名記事であれば責任は記者個人に及ぶと。記者への温情的処置もそこにあるのかも知れない。

しかし今日他のメディア、殊にテレビやラジオの親しみやすさ。アナウンサーやパーソナリティーの優しい語り口、電話、メール、ファックスなどによるオンデマンドでの意見の交流・交換という参加型機能もあることに比べて、新聞は朝・夕刊方式という宿命的時間差を持ちこの「対応の鈍さ」と、印刷物という堅実さがそのままの「固さ」となっており、やがて人気を失うのではないかという危機意識ではなかろうか?

新聞社が署名記事を増やせば記者には負担も掛かるだろう。例えば「内容がよく理解出来ない。もっと上手に表現して欲しい」などの初歩的注文から、「私ならこう考える」などの意見・注文。更には新聞社の「姿勢・スタンスが気に入らない」など色々の注文があるはずである。メールアドレスを付記し、オンデマンド的に対応したいと意欲を見せても、パソコンメーカーやプロバイダーのような顧客志向の応対体勢は取れていないからだ。
しかし記者にとって読者の「反応」は、指摘内容の如何にかかわらず「書き手」としてインセンティブ(やる気を起こさせるもの、駆り立てるもの、激励、刺激、)となる筈である。

従来記者は恐らく上司の顔を窺いながら記事を書いてきたのではないか?と。記者は上司の指示で取材し、記事を書き、上司のチェックを経て出稿、終了であろう。評価は、第一義的には何本出稿したかであり、某国営?放送局記者のようなプレッシャーに悩むことになる。
しかし例のホリエモン事件でいみじくも考えさせられた「企業は誰のものか?」式に言えば、「新聞は読者のもの」である。

記者に対する上司の評価項目には、記事の本数以外に当然ながらニュース性、記事の質の良さ(表現・表記の正確さ、分かりやすさ)、それに読者の反応も評価対象であろう。ただし読者の反応はこれまで把握し難い項目であったと思われる。署名記事方式は「読者の反応」を把握する最良の方法である。そのためにも全ページに、頁ごとのメールアドレスを設定するという今日的対応が欲しい。

今日では、読者は新聞を一方的に供給されて読んでいる訳ではない。どの新聞を選択するかの選択権は読者にある。
ここまで書いてきてインターネットで「新聞批判」、「新聞・署名記事」などで検索したら、不平、不満がごまんと見付かった。既に多くの新聞愛好家の指摘や要望があり、それを無視して今日の新聞があると思えば、今更私が付言することはない。
ただ、不平、不満の中にスタンス、例えば「政府のアジア外交に対する新聞社の批判」への不満も多い。だが、自分の意見に合わないというなら新聞社を変えればよかろう。
私の意見は表現は悪いが、新聞人の意識を問うている。対応は横柄、横着、時に慇懃無礼でもある。「後日調査の上担当部門から回答致します」と言いながら返答があった試しはない。

月末に新聞販売店から集金に来る。「面倒であれば銀行振り込みにしてもよい」というと、いや、「集金の機会は読者の要望をお伺い出来るので、従来通りお願いします」という。私は「質問や意見をメールや手紙で送ってもいつも無視されている」と、無駄な抵抗とは思いつつも苦情をいう。

新聞社は恐らく、新聞販売店を通して「読者の要望や希望を把握したい」などとは考えてもいないであろう。しかし新聞を支えているのは販売店と読者であるとも言える。
「新聞週間雑感」は今日で終わることにしよう。虚しさを実感するだけだ。(2005.11.13)

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