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2005年12月4日

2005/12/04

34:伊豆一碧湖畔の思い出

写真はユニマットミュージアム「伊豆一碧湖美術館」のテラスから一碧湖34ippekikoを望んだ1994年(平成6年)12月8日の眺めである。丁度今頃のことだ。

ここは当時私が勤めていた会社のグループ企業が経営する美術館という縁もあり同僚と、開館直後にこのカシニョール作品常設館を訪れた。油絵とリトグラフ作品約150点を持つという専門美術館で、私は彼の甘美な作風とフランス的自然・風景の魅力を満喫した。この美術館の近況については後に示すURLで確認出来る。

カシニョールは現代フランスを代表する作家の一人で、日本では殊に女性に人気があり、私も好きな作家の一人である。フランス人のエスプリ(才気、気質)とそこはかとなく漂う花と美女の香りに私は心のときめきを感じる。

1990年4月、大阪梅田の大丸ミュージアム梅田では「花と女性の饗宴(朝日新聞社主催)」と題した展覧会のサイン会で、彼の横顔をつぶさに眺めもした。30年に亘る彼の画業から「花」と「女性」をモティーフとした100号以上の大作80点が飾ってあり、立ち去りがたい思いの残った展覧会でもあった。

この常設館の高橋美術館長の挨拶文によれば、
「今日フランス美術界で実力・人気両面でその画壇をリードしているのが、ベルナール・ビュフェとジャン・ピエール・カシニョールの二人の画家です。…カシニョールの名が知られはじめたのは彼が40才を迎えた頃からで、パリよりもニューヨークや日本でその人気に火がつきました。…カシニョールの描く世界、それは洗練されつくした成熟度の高いフランス文化に裏付けされて初めてなし得る世界です。どうぞ、パリのエスプリを十分にご堪能ください」とある。

カシニョールの作品には、ファッショナブルな細身の女性が多く描かれる。深々とかぶった大きな帽子、カンバスいっぱいにひろがる華麗な花々や、緑いっぱいの夏の木立、舞落ちる秋の枯葉、ブローニュの森は私たちをときめかせ、なつかしい想い出をよみがえらせる。…」。これは入り口で貰った案内書の説明文である。この表現は期待を裏切らない。

一碧湖は、伊豆半島のJR伊東駅からタクシーで約20分の距離にあった。一周り4、5百メートル程かとも思われる程の小さな湖。伊豆の瞳とも呼ばれるこの湖は美術館のテラスからはるか下方に見える。初冬ながらやや汗ばむほどの暖かい日差しを受けて湖畔の木々はさながら黄褐色のショールとなって、静かに神秘を湛えた湖を取り囲んでいた。

その日ランチのテーブルで同席した同行のTさんは油絵を楽しんでいるという。いや楽しむというよりプロに近いというべきであろう。美術家協会の運営委員という肩書きの名刺を貰う。もう一人のTさんも個展を開くほどの腕前とのこと。全く羨ましい話であった。

私はといえば学生時代に写真を始めたが、当時はカラーフィルムなど無く白黒のみ、作品サイズもせいぜい四つ切りまでという制約に、「芸術写真」を標榜することの虚しさを感じて中断する。転身の筈が忙しさに取り紛れてついに油絵も描かずじまいの人生だ。結局マウスでペイント画を描く程度に終わる現状。しかしパソコンでは絵の具が得意とするマッシヴ感が出せないところも残念だ。

絵画の魅力は恐らく構図、色彩、スケール、タッチ、マッシヴ感の表現など、表現の自由度の大きさにあろう。しかしその自由度の大きさ故に悩みも多いのでは無かろうか?
結局人は「モティーフ」など自らが課す制約で自由度をある程度コントロールするものであろう。とはいえ「モティーフ」という言葉は曖昧で辞書には「動機、主題、なぜそのような行動(表現法)を取ったのかという理由、真意、目的、誘因など」と幅が広い。主題であり、動機であるとは理解に苦しむところだ。

私が考える制約の一つは「絵の責任として『時代』を映し出していること」といいたい。結論をいえば「美」にも時代性があるべきだということ。「美」は時代を超越した普遍性を持つ「真実」とも考えられるが、「花」や「女性」にも時代性という感覚、流行が反映され得る筈である。「絵は時代の函数」(ある物の変化に伴って、他の物も変化するような場合、後者を前者に対していう)であって欲しい。そんな思いで眺めた美術館であった。(2005.12.04記)

伊豆一碧湖美術館ホームページURL
http://www.izu.co.jp/izukogen/museum/ippeki/ippeki.htm

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