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2005年12月9日

2005/12/09

36:科学と技術と文化

36toufukuzi-2 朝日新聞夕刊の「科学」欄に「記者席」というコラムがあり2005.11.29(大阪3版、9頁)に、科学医療部の内村直之さんが「科学も文化として見る気風を」という表題で書いている。

私は、「これ当然じゃないの?何で今更」と反論した。しかし読み始めてどうもしっくりと来ない。まず次の表現「今、科学は豊かで便利な生活を作る、より大きな経済的価値を作るなどに役立つ『道具』である…」という下りである。私には科学が直接的に便利な生活や経済価値を作る道具であるという認識は無い。仮にそうであっても科学の役割はその一部である。では経済価値を作る要素は何か?

内村さんの趣旨からはずれることは承知で、科学、技術、文化という言葉の範疇の中で私流にいえば、経済価値を作るモノの必要条件は「自然科学という、自然社会(宇宙、地球、動・植物、人間など)を対象として夢や好奇心を持って挑戦する観察研究から見いだされた『自然界の法則や理論』の知見・成果が、工学という『目的を持った物の生産研究』に組み込まれ或いは相互補完して『文明の利器』と呼ばれるような性能、効率に優れた『物質的発展の成果』となることが第一。第二に、企画、デザイン、タイミング、価格、流通というような科学や技術以外の文化的諸条件も重大な要素である」といいたい。

余談だが、先日同窓会に出席した折り私は隣席の物理を専攻した友人と昔話に花を咲かせていた。私、「確か、理学部の先生から習ったと記憶しているが、『分配の法則』だけは頭に残っている。溶質(例えば汚れ)の溶媒(例えば水)への溶け込みには一定の限度があり、洗濯物のすすぎ洗いでは一度に大量の水を使用しても効果が少なく、少量あて数回に分けてすすげば節水になるという理論だったな」と。これを聞いた友人は「今日の洗濯機にはその理論が組み込まれて実現しているよ」というではないか。科学と技術、理学部と工学部との関係はこういう関係だと、日頃の私の理解を裏付けて呉れた友人に感謝したところだ。ただし、この話は商品価値創出の前半の過程というところだろう。

内村さんの記事の中で、もう一つ違和感を感じるのは、日本学術会議が、先に「科学・技術を文化として見る気風を醸成するために」という報告書を発表したという下りである。
「文化とは文学、音楽、絵画などを指す。科学の創造に加わるためには、その結果を受け取るのみでは不足であり、文化と同じように「真」の追求が不可欠という。…」
何とも抽象的であり、これが日本学術会議の認識とすれば「文化の日(11月3日)」に政府が自然科学分野で業績を挙げた方々も表彰していることをどのように理解しているのか?科学は既に「文化」の範疇にあるのだ。次の定義がその根拠である。なお、上記文中の「科学の創造」、「真の追求」もよく分からない言葉である。
「文化とは人類のあらゆる時代を通じ、人間が自然に働きかけることによって、自らも自然状態から脱して作り出して来た物質的、精神的な一切の成果」。
この定義は私が既にNo.29の文化の日に思うで述べたところである。

ここまで書いてきて、私はふと以前に私が集めていた文献を思い出してパソコン内から探し出した。世界大百科事典の抜粋である。そこに明快な回答があった。
 ①自然認識の体系である科学と、生産手段における客観性のある知識体  系としての技術は指向するところは同一ではない。しかし
 ②近世になって、科学の発達により、電気・電子分野に見られるように新しい科学的知見から新技術が生み出されるようになった。
 ③また、それらの技術の進歩や、問題の解決のために高度の科学的知見が不可欠となった。
 ④一方、科学には技術の側から新しい問題意識と課題が投げかけられるほか、科学研究を進める上で高度の技術の利用が必要になった。

このような認識を背景として、昭和16年(1941)高度国防国家建設を目指した時期に閣議決定されて「科学技術新体制確立要綱」なるものが生まれ、わが国における科学と技術とを一語にした表現が始まり、その後科学技術庁(昭和31年、1956)に引き継がれたという。

私かねて「科学技術庁」という表現自体が一般人の、科学と技術との区分を不明確にした元凶ではないかと思っているが、一応は歴史的経緯を踏んでいる。では諸外国ではどうか?
世界的にも科学と技術とを併記する傾向にはあるというが、表記は「SCIENCE & TECHNOLOGY」であって、アンドで結ばれているという。

私自身、これで考え方はよく整理出来た。だが科学が、道具というハードなものという認識には至らない。

今日の豊かで便利な生活は科学、技術によって支えられた「文明」によって築かれる比重が大きい。しかし、精神的豊かさはモノの利便性、生産の効率だけで達成されるものではない。例えば自動車、「これこそ文化」というようなデザインも大きく関わってくる。文明と人間との接点、その点を軽視したとき、公害という悲劇を生む。
「文明は不可逆で累進的進歩の過程をたどる」といわれるからである。よほど手綱を引き締めていないと文明は一方的に暴走する性質のモノだ。神が人間の暴走・横暴さをたしなめるために公害を発生させ、自然を破壊し文明の速度を制御しているようにさえ思われる
。(2005.12.09)

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