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2006/02/10

42:「言葉の力」への期待

2月9日朝、目が覚めた途端に私はベッドの中で小形ラジオのスイッチを入れる。「言葉の力」というニュースが耳に飛び込んで来る。朝日放送の宇野ひろみさんが自分の番組の中で今朝の朝日新聞の主要ニュースを紹介しているのだ。「言葉の力」とは何か?
文部科学省が「現行の『ゆとり』から『言葉の力』へと指導要領を約10年ぶりに近く全面改定する」というのだ。それって良いことじゃないか。日本に明るい未来が開けるのではなかろうかと私は期待し、素直に喜んだところだ。

「言葉の力」とは一体何であろうか?朝日新聞の1面と2面(解説)の記事によれば
「言葉の力」は中教審が過去1年にわたり議論を続けて来た次期指導要領の「理念」であり、これに沿って近く中央教育審議会の部会に原案を示し2007年度までに全面改定を終えるという。次期指導要領の「理念」の原案は、
「言葉は、確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基盤となる」と説明しているという。

bloggerとして私は用語や表現に文法的誤りがないように、また他者を中傷誹謗するなどの失礼がないようにと日頃気を遣っているつもりだ。しかしこれは言葉の最低のマナーであって、これだけでは人を感動させたり、主張を理解して貰う力はない。たとえ荒削りの粗野な文章表現でも人を感動させる力を持っているのはその「内容」の力であろう。
端的にいえば「言葉の力」は、自分を表現し社会と対話するための「手段」としての言葉と、そこに盛り込まれる「内容」とが両輪として機能する時初めて生まれるものであろう。

実は私は、定年を迎えた後しばらく知人の特許弁理士事務所で特許の明細書作成業務を手伝ったことがある。担当する分野は私が長年研究して来た技術分野であれば、内容は良く理解しており、いささかの不安も問題も感じていなかった。しかしそれは甘かった。

当時、特許事務所の弁理士(先生)はまだ、明細書作成にパソコンを使いこなすという時代ではなく、その事務所でもまだ手書きであった。しかし私は例えば「18クロム8ニッケルステンレススティール」というような長い材料名を何度も繰り返して手書きで表記することが煩わしく、既に購入してあったパソコンに頻度の高い単語を「単語登録」して業務の改善を図ることにした。こうして私は要領よく明細書原稿をパソコンで作成して先生のチェックを仰いだ。一読した先生は不合格を宣告したのだ。
どこが悪いのかと尋ねたところ「もっと腰を据えて記述しないとダメである。明細書は法律文であり、散文を書くような態度ではダメである」と。この言葉はまさに衝撃的であった。
勿論私とて手引き書に従って、方式通り発明の名称から特許請求の範囲、詳細な説明、図面と…と記載している。ライバル会社などから「類似特許を申請されないための配慮」、また、「異議申立てなどを受けないための配慮」が不十分であったのだろうか?などなど反省したが、どこが不十分なのかは明白にならなかった。

では当時先生はどのような作業順序で明細書の作成をしていたか。私の見聞した限りの理解であるが最初に、企業から送られて来た特許出願依頼書の発明の内容を熟読翫味して理解する。明細書作成の構想が纏まった段階で、まず一気呵成に原稿用紙の升目に埋めてゆくのである。またしばらく沈思黙考が続き、また一気呵成に升目を埋める。表現に訂正の必要が生じた場合はハサミと糊で文章を移動する。この作業の繰り返しで原稿が出来上がるのだ。法律文という内容だけに、構想力が第一、次いで表現力ということではなかったろうか。構想が纏まらない限りペンを取らない、ハサミと糊で文章を移動するという一見非能率に見える作業も、構想の再吟味中であったものと思われた。

私の場合はどうだったか。明細書作成の構想というよりも単語や文章や断片的構想を思いつくままにワープロ作業で記述し、後は言葉や文章をうまく入れ替えながら全体を推敲して完成させていた。まさに散文調であり、私はとても論理的に法律文を起草出来るような素養も性格もないことを悟ったところだった。

この体験から私は「言葉の力」とは理解力や表現力に止まらず、先ずは伝達すべき内容を自己の脳裏に全体として構想出来、その内容を言葉であれ文章であれ正確に他人に伝達出来る表現力を持ち得ること。逆に、他人の言葉や文章を正確に理解するとは、他人の表現(構想)を自分の脳裏内に可能な限り再現して、対話し得る能力ではなかろうかと。上記の私の経験は特許明細書作成という特殊例だが、そこにある思想は「言葉の力」の指導要領原案の中にあるという「…国語の育成と関連づけた論理的思考力や表現の重要性云々…」の思想の、究極の姿のように思われる。

解説の大島大輔記者は「言葉の力」で目指そうとしている論理的思考力の大切さに異論はない。ただこれが学力や学習意欲の向上につながらなければ保護者らの切実な要請に応えたことにならないと結んでいる。

しかし私は、人作り・教育は百年の大計であり、たとえ時代と共に人間社会の諸々の文化が変遷して行くように見えても、人作りは人間社会の普遍の真理として常にそこに回帰するものといいたい。今度こそ、百年に耐える教育方針を決定して欲しいと念願すると共に、新聞などマスコミが一喜一憂するような情報を流して偏った世論を形成することのないように厳に慎んで欲しいと思う者である。(2006.02.10)

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