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2006年3月15日

2006/03/15

45:箸休

oubai-640caption 私のBlog、ついつい長文の意見などを書いて我ながら相応しくないと反省している。幸い息切れである。今日は最近思うことをメドレーで書いてみよう。

その1:「実験ノート」
3月10日、夜10時からのNHKジャーナル(ラジオ)で、私がNo.26で触れた先端科学分野での不詳事件の結末を報じていた。
その事件は「産業技術総合研究所ジーン(遺伝子)ファンクション研究センター」で、研究所が世界に向けて発表した論文の基になる『実験ノート』が残っていないことが判明し、この論文を含む12本について『結果を再現できない』という内外の研究者からの声でその事実が判明した」というのだった。東大教授が絡むこの事件の真相は結局十分に解明出来なかったようである。
さて、今日のニュースでは、「今後は副学長を中心に再発防止の対策を進めるが、発表の際(自筆による)『実験ノート』の存在は必要不可欠の条件となる」というようなことであった。

先般、永田議員がお騒がせした「ほりえもんメール」の信憑性問題で明確になったように、「電子情報」は証拠性がない。パソコンがなかった時代の研究者は、実験の手順に従って時系列に、実験記録を自筆で詳細に大学ノートに記述して残し、研究結果の証拠にしてきた。それなのに最先端科学分野の研究者が「実験ノート」を残さなかったのは何故だろうか?恐らく、パソコンの利便性に惑わされてパソコンをノート代わりに使い、そこにデータを直接打ち込むという日常がこの問題に繋がっているのではないだろうか?
恐らく最先端研究分野に限らず、今日では研究者全般にこのような習性が身に付いているものと思われる。
この問題が先駆けの功名心による偽装・虚偽であったか、あるいは単なる過誤・過失であったかは分からなかったようであるが、しかしことは、単に個人の問題で終わらない。プロ研究者が自ら我が国の国際的信用を失墜したことだけは事実である。

その2:「先生の誇りは?」
3月11日、夜10時15分からのNHKの土曜ジャーナルで「どう学力を育てるのか?」(尾木直樹)という番組は、私がNo.39で触れた東京都の小学校に塾の先生を派遣している現実に触れていた。
当の小学生は「良く分かる」というとのこと。しかし小学校の先生が、塾の先生の授業風景を参観することについて生徒は、「塾の先生は、僕らの先生の先生だな」と理解しているようだという。校長先生は(塾の先生の派遣を)学力が育っていると歓迎しているようだともいう。

他方、横浜市では、市の教育研究所のようなところで先生のスキル向上の教育を実施しているが「出席して欲しい先生の出席が(色々の用事で)少ない」という悩みがあるというようなことも報道していた。何故義務化できないのであろうか?
私の小学校時代、担任の先生は全教科を教えていた。今日でも担任の先生が全教科を教えているのではないかと私は思っているが、私はこれらの報道を聞きながら、教科毎にそれぞれ「専門能力を持った先生が担当する時代の到来」を感じた。それこそが「塾の先生の支援を受ける屈辱」からの脱出ではなかろうか?
なお、この項、ラジオの聞き流しであり、間違いがあればお許しを。

その3:「ミツトヨその後」
先日私は「志高く『ミツトヨ物語』」(No.32)と題して同社の創業精神を高く評価したばかりだが、そのミツトヨが3次元測定器というすばらしい計測機器の、不正輸出・外為法違反容疑で警視庁公安部からで捜査を受けていると朝日新聞2月12日、15日で報道された。
企業が平和産業向けとして開発した筈の高性能機器が図らずも輸出規制対象に引っかかるという事件が時々報じられる。1月23日にはヤマハ発動機が中国向けの無人ヘリコプター輸出で摘発されたばかりであった。
売れる商品造りは研究者、開発者、営業担当者の使命である。見事達成したその成果は関係者の誇り・生き甲斐である。研究開発投資を回収し企業業績にも貢献出来る。購入希望者がある限り世界中に販売したいと考えるのは当然であろう。

しかし現実はそう簡単ではない。メーカーはこうして販売した商品が平和産業以外の、予測を超えた用途に転用された場合、その責任をどこまで負わねばならないであろうか?
外為法規制は、その種ハイテク製品が原子力や生物兵器、ミサイルなどの研究・開発に転用される危険性を予測して規制するもの、のようであるが企業としては釈然としないことであろう。元技術者として私は同情の念も湧く。政府間協定があれば航空機、戦艦などの兵器が堂々と取引される現実が一方にあるのだ。

もし「法」が無意味というのであればその改正に働くことは良かろう。しかし法を甘く見て或いは無視することは出来ない。現実に起こるこの種の違反事件の背景に日本人の意識、意欲などの変化や弛みまで考えねばならないのであろうか?

その4:「日本人の精神的背骨」
60年前、第二次世界大戦で日本は惨敗した。その犠牲者は300万人以上といわれる。その犠牲と引き替えに入手した筈の民主主義と平和。そのいずれもが今ぐらついている。心配性の私はこの国はいつか地球上から消え去るのではないか?と杞憂感さえ抱く。

なるほど今日、我が国の民度や国力は欧米先進国に比肩できるレベルに到達している。先ずは戦後、追いつけ追い越せで日本を引っ張ってきた多くの優れた為政者、経営者の功績であろう。しかし国民もそれぞれの立場、持ち場で頑張ったのだ。終戦直後の日本はどこもかしこも廃墟同然であり、切実な要求が、まずは衣・食・住の確保にあった。
その努力・向上心を支えた勤勉さ、忍耐力、協力精神、ハングリー精神などは今日では希有の「美徳」というべきであろう。ではその美徳の源泉はどこにあったのか?

藤原正彦さん(No.31数学は何故美しくあり得るか?で私が触れた数学者)の近著や1900発刊の新渡戸稲造さんの本で「武士道」という言葉が話題になっている。 藤原さんは…民主主義よりも武士道精神で「国家の品格」を取り戻すことであると、日本人に誇りと自信を与える画期的日本論を展開しているそうであるが、まだ読んでいない。他方、新渡戸稲造先生による英文「武士道」は、はじめて諸外国に向けて日本人の「倫理観」を示した名著とされているという。

「武士道」精神とはいささか古めかしいし理解し難いという印象も受けるが、私も「武士道」精神云々に異論はない。ただ、武士道にも更に源流があろうというもの。私はそれが「仏教(なかんずく禅宗)」と思っている。

禅については鈴木大拙著(原著英文)、北川桃雄訳の「禅と日本文化」を読めば良く理解できる。ここで私は「第三章:禅と武士」の中からほんの一部を引用して、要約する。

①:日本仏教の支持層を大別して「天台は宮家に、真言は公家に、禅は武家に、浄土は平民に」という言い表しがあった。

②:禅は栄西(1141-1215)によって日本に導入されたと見られているが、仏教の本拠地京都でのこの新宗教創立は既成宗教の強行反対に遭って、殆ど不可能であった。

③:平氏および公卿たちに抗って起こった源氏のあとをついだ武門的北条氏は居を鎌倉に定め、厳格な倹約と道徳的修養とで、強力な行政的・軍備的政治機関の指揮者となり、宗教では(従来の伝統を無視して)禅を彼らの精神的指南として抱懐した。こうして禅は13世紀以来、足利、徳川時代を通じて日本人の一般文化的生活に影響してきた。

④:武門階級の精神は比較的単純で哲学的思索に耽るというようなことは無く、禅に似合いの精神を見出した。

⑤:禅の修行は単純・直截・自恃・克己的であり、こういう戒律的傾向が戦闘精神とよく一致した。立派な武人は総じて禁欲的戒行者、自粛的修道者、鉄の意志を持っている。

⑥:禅は哲学的というよりも道徳的に武士精神に訴える。禅は「直覚」を重んじ、哲学的見地からの知性主義に対立する。真理に到達するに「直覚」が直接的道であったからである。

⑦:禅は、まとまった概念や知的公式を持つ特別な理論や哲学を持つわけではない。ただそれは人を生死の絆から解こうとする。それは直覚的な理解である。
この直覚的な教えが妨げられない限り、哲学的にも道徳的にも応用自在な弾力性を持つ。こうして禅はいかなる政治的、経済的教説にも結びつく。

⑧:禅は初唐即ち8世紀に中国に発達した仏教の一形態であるが、他の仏教が、発達するに従って堆積してきた儀礼的、教典的な皮相な見解を除去して、仏陀自身の根本精神を教えるというもの。座禅、無言の状態から、理論という事物の現実的表現を超えて仏陀の精神である知恵(般若)と愛、憐情(大悲)の実在を(超越的知恵として)見得する方法論である。

私はこのあたりが、死と直面する武士に「禅」が受け入れられた理由であると理解した。こうして、武士道精神の構築に禅宗が貢献したことは疑いがあるまい。

他方、儒教は我々のような高齢者の精神的背骨を形成したと考えているが、これと武士道との関係については例えば
「武士道とは死ぬることと見つけたり」で有名な佐賀藩の「葉隠」は鍋島論語とも呼ばれる。(当時の儒学の思想からなる士道とは大きく離れたものであったので藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた)という一節を引用して終わりたい。(2006.03.15)

★鈴木大拙著(英文)北川桃雄訳「禅と日本文化」岩波新書1940年9月30日第1刷、1968年9月10日第28冊発行

★「葉隠」(はがくれ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%89%E9%9A%A0

★三島由紀夫著「葉隠入門」新潮文庫 昭和58年(1983)4月25日初版、平成14年5月10日30刷

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