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2006/03/05

44:電車内で化粧する女、世界の研究テーマに

1月5日のBlog No.38で、私は電車の車内で化粧をする女性のことに触れた。実は先日、朝日新聞夕刊の文化欄で日本学研究のオーストリア女性学者が「日本人の電車内化粧の問題」に触れていることを知る。今やこの行為は世界的話題となっている。

ブリギッテ・シテーガ先生(Dr. Brigitte Steger、ウイーン大学日本学研究所助教授)は2月下旬京都で行われた「睡眠文化研究会」で、車中や教室における日本人の「居眠り」や「電車内化粧」について発表したという。朝日新聞2006.03.02夕刊大阪3版に、その概要を小林正典記者が報じている。表題は「居眠り、日本は何故寛容?」、最後に「電車内で化粧」についても触れている。しかし先生の解釈や理解は私と大分違っていた。

車中の時間もまた人世の貴重な一部であれば自分が納得して何に使おうと他人に迷惑をかけなければよいではないか?他人にとやかくいわれることは無いというのが一般的了解であろう。
こうしてそれぞれの価値観に基づいてある人は本を読み、ある人は車窓の風景を眺め、ある人は居眠りをしたりと様々である。時に切羽詰まった事情からであろうかせわしい行為の人も見受けるが、恥ずかしいことや他人への迷惑行為は慎まねばなるまい。居眠りも度を過ごせば恥ずかしいし、衆人環視の中で化粧する行為も恥ずかしい。しかしNo.38に書いたように「車内化粧は恥ずかしいことではないわ」という人もいるそうであり、出来ちゃった婚を堂々と発表する時代だから、車中化粧の何が問題なの?というのが現代人感覚かも知れない。
しかし私はここで、先生の研究に刺激を受けて、車社会、外食産業、民度、ハレ、ケというキーワードを使ってこの現象を読み解くことにした。

先生はとても温かい見方をしてくれているが、日本人は化粧する女の行為を決して認めあっている訳ではない。良識ある人々はみな顰蹙しているのですぞ。

2月上旬に来日し、先生は京都や大阪の高校で聞き取り調査を行ったという。先生は「居眠り」を定義して「『眠る』以外のことをする場に『居』ながらにして『眠る』こと」といい、日本で居眠りが「許容」される事情を国際比較を通じて論じたという。以下、講演の概要を新聞記事から直して列記した。

:ヨーロッパでは自分に向かって話しをしている相手がいれば、目を見て聞くのがマナーで、「居眠りは先生に対して失礼という意識があります」と。
(マナーとしては全く仰る通りである。居眠りや車内化粧が、ヨーロッパで「日本研究」の恰好のテーマとなるのは、これらの現象がよほど特異な光景ということであろう)

:高校生らのほとんどが授業中に居眠りをしたことがあると答えたと先生は報告。
「なぜ日本では、夜に勉強させて昼間の居眠りを認めているのか。私は小さいころ父に夜に一生懸命勉強するのは昼間に怠けているからだ」と教えられたと。
(この指摘は痛い。私は、戦後導入の民主主義が欧米の民主主義国家に比べて歴史が浅く、また優れた指導者にも恵まれなかったため消化不良のままに今日を迎えていること。他方従来の日本人の「背骨」を作ってきた「儒教」が戦後は封建的という理由もあり学校教育や生活全般から排除され、殆どの親は子供を躾ける信念も方針も持っていない。これらの影響が大きいものと私は考えている)

:「いい学校に入るためには放課後に塾に行き、さらには夜も自宅で勉強しなければならない。とすれば、昼に睡魔に襲われるのも当然だ」。
(この解釈は妥当であろう。しかし、では西欧ではいい学校に入るためにどのような準備をするのであろうか)

:疲れて授業中に寝ているということはそれだけ自分が勤勉だということを示そうとするサインではないのかと先生は仮説を披露。
(日本人の感覚にそういうこと全くありませんぞ!しかしそういう仮説でもたてないとこの現象は理解出来ないということだろうか)

:日本の高校生は友達のほとんどを学校で見つけている。「学校に『居』ないと友達ができない。授業が退屈で眠ってしまうとしても学校に行くのは、友だちを作ったり友だちと遊んだりする準備のためではないか」と。
(友だち作りという授業よりもっと『大事な』ことをするための準備のスペースとして学校や授業が存在するという解釈となるが、学校は基本的な知識を習得する場として存在するし、生徒にもその認識はある筈である。とはいえ生徒に「友だち作り」という考えが無いとはいえないし、校内での友だち作りは堅実かつ安心でもある。伺いたいのは欧米では、学校以外でどのようにして友だちを作っているのか?)
   
:電車の中での居眠りが「許容」されている理由については、よく挙げられる「(日本は)安全だから」という理由だけでは、「あまり居眠りしない安全な国の存在」を説明できない。
(確かにそれだけの理由ではあるまい。もし居眠りが日本人の特異現象であれば、疲労、慢性的睡眠不足、飽食など社会的、人種的、生理学的視点からの分析が必要であろう。社会的とは、24時間対応社会の出現の影響を含めてとの意味である)

:先生は(居眠りに限らず車内で化粧するのも)「公の空間であるはずの電車が、半分は私的な空間になっている。二度と会わない人たち同士の空間を、もっと『大事な』ほかの何かをするための準備のスペースとして、(使うことを日本人は)認めあってしまっています」と言う。
(「もっと『大事な』ほかの何かをするための準備」とは一体何か?この文脈からだけでは分かりにくいが、あえて私は「これからお目にかかる大事な人のために、車内で、更に入念な仕上げの化粧を行っている」などとなるが、それならホテルの化粧室などを利用すればよいこと。電車内での化粧は恐らく朝寝などのずぼらな理由から切羽詰まり、やむなく通勤車中を利用しているものと私は理解している。オーストリア生まれの先生の理解や判断には、そういうイメージは浮かばないということであろうか)

:日本では所属する集団に何らかの貢献をしていなくても場を共有すること自体が重んじられるため、必然的に会社などに拘束される時間も長くなり、平均の睡眠時間が短くなっていることが背景にあるのでは?と。
(確かに、過去の企業社会では上司が退出しないと部下は退出しにくいという習慣もあったが、今日の日本にはそういう意識も習慣もない。先生の知識は古いのではないか)

:最後に小林記者は「公の意識が、親しい友だちや会社などに限定され、いま、目の前や隣にいる人には及んでいない日本。一見、合理的ではあっても、少し寂しい気が…」と結んでいる。
(私は「公の意識が、親しい友だちや会社などに限定され…、」というくだりがよく理解出来ない。私の解釈は、「公」や「晴れ(ハレ)」という特別意識が、マイカーという車社会の出現で車内という全く普段着の「私」の日常(褻・ケ)空間が容易に車の外の「社会」に持ち出されるようになり、結果的に電車という「公」の乗り物にも「私」を持ち込む結果となっているのではないか?という解釈である。
外食産業の発展、可処分所得の増大など経済力、民度の向上が車社会の利便性と相俟って、特別の日(ハレ)にしか預かれなかった馳走(外食による)が全く日常化(ケ)したこともその背景をなすものと思われる)

日本人自身が解決出来ていないこの難しい行動、問題がいまや世界で研究の対象となっていることについては複雑な心境である。私は、新聞記事と関連のインターネット情報のみでこの問題を読み解こうとしたため十分な理解は出来ていないことは認めねばならない。(2006.03.05)

★http://wiki.livedoor.jp/riss2005/d/%b8%a6%b5%e6%b2%f1%a4%ce%b0%c6%c6%e2

平成17年度 第4回睡眠文化研究会:(平成18年2月24日)
日本の高校生の眠りに関する「不思議な」現象について、3つの点から考察をおこなう。
(1)学生の睡眠パターンの国際比較および歴史的な変化。
(2)日本の社会・文化的な文脈においてなぜこのような睡眠パターンが許容されているのか。
(3)社会学・人類学的に「居眠り」を夜間の眠りやシエスタに対してどのように説明できるのか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AC%E3%81%A8%E3%82%B1
ハレ(晴)、ケ(褻):
民俗学や人類学においてハレ(晴れ)は「非日常」、ケ(褻)は「日常」を表す言葉である。

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