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2006年4月10日

2006/04/10

48:「看板効果」

ここでいう看板とは本の表題、コマーシャル、ブログの名前などの総称である。その表現の善し悪しとその効果について考えたい。
考える動機となったのは朝日新聞「きょうの論点(2006.04.03)」、藤原正彦さん(お茶の水女子大教授)の著書「国家の品格」について、内田 樹さん(神戸女学院大学教授)が疑問を提示した記事である。単に、看板の善し悪しに止まらず「ものの見方、考え方」で、一考させられる記事であった。

A:書名「国家の品格」について
藤原先生の新聞談話の表題は、「『惻隠の情』広めよう」となっており、先生はまず、バブル崩壊後、日本では政府ばかりか国民までもが、経済を回復させるためなら何をやってもいいと考えるようになり、アメリカからの要求に従うような改革が次々に断行され、貧しいものや弱者、地方が泣かされるという、非情な格差社会が日本にも生まれた…といい、
1:日本のこのような社会現象の元凶はアメリカ流の経済至上主義や市場原理主義である。
2:こうしたアングロサクソンの「論理と合理」を許し続けたら、日本だけでなく、世界全体がだめになる。
3:では日本はどうすべきか。経済的豊かさをある程度犠牲にしても、「品格ある国家」を目指すべきである。そのためにも、新渡戸稲造の「武士道」の精神を復活させることが大事だ。武士道精神の廃れで、国家の品格も失墜した。
4:武士道精神には慈愛、誠実、正義、勇気、名誉、卑怯を憎む心があり、その中核をなす「惻隠の情」といった日本人の深い知恵を世界に向けて発信することこそ荒廃した世界が最も望んでいるのではないか。
5:もう一つは、「祖国愛」。相手の同様の祖国愛もよく理解し、…この祖国愛を大事にしながら「惻隠」という情緒を持って、論理や合理に凝り固まった世界に広めることが日本の果たすべき役割と結ぶ。

私は藤原先生と少し異なった視点から日本の現状を直視出来ない思いでいる。社会現象があまりにも道徳的にみて頽廃的であり、世紀末的である。戦後の廃墟の中からみんなが必死になって営々として築き上げてきた日本の世界的地位も富も、このような社会現象や傾向が持続するならば、国家の品格は消滅し、人口減少の影響も加わって内部からの崩壊、瓦解は急速に進み、愛国心もハングリー精神も旺盛な発展途上国の人々に席を譲ることになるという危惧感である。私の思いは藤原先生の考えに近いともいえる。

しかし上記4に関して私は、世界への貢献をいう前に、先ずは国内に向けての努力を訴えるべきであり、なぜ「世界が最も望んでいる…」となるのであろうかという疑問がわく。

他方内田先生は、この本を読んで部分的には同意できる点も少なくない(例えば、…自分の属している社会の伝統や風土を愛することから始めるべきこと、小学校で英語を教えるより先に日本語をきちんと学ぶべきだなど)と語りながら、表題と内容との違和感を語っている。
内田先生の談話の表題は、「まずフェアーか点検を」となっており、
1:国民が自分の国をどれほど愛していても、自分の国が立派な制度や文化を持っていることを誇っていても、あるいはそれが実際に素晴らしいものであったとしても、そのことが直接的に国家の「品格」をかたちづくるわけではない。
2:国家の「品格」というものがあるとすれば、それは「あの国は品格がある」という外部からの評価にしか基礎づけられないだろう。その際私たちの国の「格付け」をする権利を持っているのは、…何よりもまず、その国を共生の場とする在留の外国人。彼らこそ品格のある国家であることを切望している。
3:彼らがまず「国家の品格」の条件として上げるのは、
①:法治主義 ②:通貨の安定 ③:公共機関の信頼性 ④:行政の合理性といった徳目、なかんずく尤も重要なものは「フェアネス」だろう。だから「品格の高い国家」だという外部評価を得たいと日本人が望むなら、日本がどれくらい「外から見てフェアーな国か」をまず点検すべきである。
4:著者は恐らくこの本が外国語に翻訳されてそれぞれの国の人々に読まれる可能性を勘定に入れていない。それは視野の狭さを意味する。日本が「品格のある国家」になるということは、、外から見て「品格がある」と評価される言動を地道に積み上げてゆく以外にに達成することが出来ない課題だ。
5:本書のヒットを支えたのは日本国民が潜在的に抱く反米感情では?国の誇りを踏みにじられ、「国家の品格」を汚されたことへの国民の無意識的な恨みは私にも共有されており、本書によって噴出した。

内田先生の意見を読んで、なるほどこの本の表題がこれでよかったかという疑問がわいた。藤原さんの本意は、「先ずは日本国民が品格ある国家の一員と認められるよう努力すべきこと。そのためには武士道精神を復活させることが大事」と、いいたかったに違いない。そういった内容にはもっと相応しい表題があったように思ったところである。

B:コマーシャルの構成
テレビでは、時々何を売りたいのか私には分からないコマーシャルに遭遇する。企業は商品の購買層(特に年令)を考慮したいわゆるセグメンテーションによって、その年令層が最も敏感に反応するメッセージを送っているのであろう。勿論それはありうる戦術である。なかには奇を衒った演出で先ずは視聴者の関心を引き出し、その後具体的に商品の宣伝を行うものもある。それもいいだろう。
いずれにせよテレビは公器ともいうべき地位のメディアであれば、コマーシャルのベースに、ある程度の普遍的な要素があるべきではなかろうか。それが特に年配者への親切な配慮というものである。

C:ブログの名前と装飾
私のブログ名「硬骨ウント恍惚」も、私の意図通りに表現できているか、また私の意図通りに受け取って貰えているだろうか。私は硬骨漢を「売り」にしながら、ふと顔を出す恍惚の一面を、それもまあいいかと妥協している。
「恍惚」の出典は昭和47年作、有吉佐和子さんの「恍惚の人」であり、第一義の「物事に心を奪われてうっとりしているさま」ではなく、「頭などがはっきりしないこと、ぼんやりしているさま」である。時代は代わり「恍惚の人」も遠い存在となり、代わって認知症の登場である。ついでにいえばウントは「で」と読み替えてもらってもよい。

ご覧のブログバナーは本日更新の新作である。これまでのバナーはフリーソフト「LOGO!」(注1)によるもので結構気に入っていた(下図)が、気分転換のために今回は立体表現が可能なフリーソフト「LogoShader」(注2)のお世話になった。両ソフト共に当初は取っつきにくいところもあるが、慣れれば結構いい作品が出来る。今後「乞うご期待」である。さて、私の広告効果戦術は当たるだろうか?(2006.04.10)

Tb1060328cap

注1:LOGO!
       http://www5a.biglobe.ne.jp/~suuta/
        http://www5a.biglobe.ne.jp/~suuta/soft/logo.html

注2:LogoShader
       http://homepage2.nifty.com/pyonpyonpyopyon/

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