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2006年5月1日

2006/05/01

51:季節を感じるとき

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白髪頭の少年(Gray'-head'ed Boy) などと洒落ても所詮昭和一桁人間。何に季節を感じるか?と聞かれたら、自然、花、衣替え、四季折々の行事、部屋のしつらえなどと答えてしまう。

この季節百花繚乱と、春の花が咲き乱れて目を楽しませてくれる。狭い我が家の庭でも花水木、山吹(白、黄色)、つつじ(白、大紫)、いちはつ、君子蘭、鳴子百合、突き抜きにんどうなどが美を競う。去年佐渡島で買ってきた百合の球根が勢いよく新芽をだし茎は日々たくましく伸びている。一時停車のバスから飛び降りて買ったので品種・品名を聞き忘れた。どんな百合が咲くのか?そのミステリー性が楽しい。新緑では、モミジ(野村も)、ユズリハなどの新緑が美しい。ユズリハはようやく親葉と入れ替わったところだ。51060501cap_1

ところで今日から5月。例年我が家では「兜」と「暫人形」を飾っている。暫さんは息子の初節句に頂いたもの。兜も貰い物で、決して自慢するようなものではないが、この時期の季節を感じさせてくれる小道具だ。季節毎にこうして部屋のしつらえを変えることは楽しい。

お正月飾りは、息子の家族も同居している我が家で、もっぱら私と家内の仕事である。家族みんなで正月を祝うが、こういった習慣が子や孫の世代に無事伝承できるだろうか?というと心許ない。
おせち料理は最も季節を感じさせる文化だが、将来どうなるであろうか?冷蔵庫もなかった時代に主婦が正月をのんびりと過ごすための保存食の文化だろう。しかし便利な調理器具や、年中無休のスーパーやコンビニの出現で、年末に作り貯めて置く必要がなくなった。それでも我が家では三日分程度は蓄えているようだ。何百年と続いてきた日本の伝統文化が文明の進展と共に次第に崩壊して行く。

季節に応じて、衣服を着替えてきた「衣替」の習慣も最近はすっかり乱れてきた。温暖化や異常気象の影響と、勤務先や自宅の住環境が人それぞれに異なるためであろう。
4月は寒暖が目まぐるしくいれ変わり、先日ラジオで「この模様だと、冬物から夏物に衣替えすることになるのでは?」といっていたが、今日はまるで夏日、予言的中となるのだろうか。
日本列島のだいぶん西にある我が家で、夕べまでは切炬燵の世話になっていたのに、この様変わりだ。

我が家ですっかり消えた習慣もある。2,30年来、7月からの約3ヶ月間は障子を簾(すだれ)に代え、襖(ふすま)を簀戸(すど)に取り替えて暑さ対策してきたが、これらの建具はここ10年ほど前からお蔵入りしている。木造家屋の我が家、すだれやすどでは間仕切り効果がなく、冷房効果もない。だがこのような変化は我が家だけのことではあるまい。

今日、四季に若干の乱れはあってもその四季の存在が日本人の感情や感覚を育て日本文化を形成してきたものと思われる。そんな日本人が築き上げてきた文化を、自ら壊すことに抵抗感が少ないように思われるのは何故だろうか?

日本人の精神の柔軟さ・淡泊さと、欧米人の頑固さ・粘り強さを、「日本文化が土、紙、木で構成・構築され、欧米文化が金属・石という材料で構成・構築されてきたという材料に由来する伝統に基づく」ということもいわれる。
言い換えれば土、紙、木で構成・構築された建物は容易に破壊、改築を繰り返すという習慣と歴史があり、これが「変化への柔軟さ」を生み出したという考えである。

しかし私はむしろ日本の地理的条件、気象条件などの「四季・風土」が柔軟なメンタリティ(知能、知力、知性、思考方法、考え方、精神構造など)を育て、そのこと自体が原因であり結果であると思うが如何なものであろうか?(06.05.01)

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