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2006年6月5日

2006/06/05

53:靖国神社からA級戦犯者を分祀すべし

この問題を論じるにあたり、まず薄熙来・中国商務相と、東京大学客員教53cap 授を務めたワン・フイ(汪暉)さんの意見を紹介しよう。

昨日(2006.06.04)NHKのテレビに登場した来日中の薄熙来・中国商務相は概略次のように述べた。「中・日関係は政治面で冷たい関係が続いており、経済、貿易関係に影響を与えている」と懸念を示す一方で「中・日両国は永遠の隣国。長期的発展が両国とアジアの発展のために重要である。しかしこの冷たい関係の背景にA級戦犯を合祀した靖国神社の問題がある。中国政府として13億人の国民を束ねてゆくには、中国人民を長い侵略戦争で戦禍に追い込んだ日本の戦争犯罪人の罪状を許すわけにはゆかない」と。

問題となっている首相の靖国神社参拝が、参拝自体に問題があるのではなく、A級戦犯合祀の現状への強い不満と抗議にあることを強調した発言であった。(ワン・フイ(汪暉)さんの発言は後記する)

この種の問題に限らず私の自身の反省として、問題をもう少し演繹的、大局的立場から推論・考察することが必要であると思うことがある。技術者であった私は目前の課題への戦術的アプローチは得意でも、何故その課題を選ぶべきか?というような戦略的アプローチはむしろ不得手で、靖国神社問題も、「中国の日本への内政干渉であり、首相は毅然とした姿勢を貫いて欲しい」と願ってきた者である。
もう少し別の視点からみても、一般に日本人はおおらかでお人好し、厳密さや徹底性に欠け、無防備でもあるように思う。例えば宗教問題、かって「イザヤ・ベンダサン(ペンネーム)」は著書「日本人とユダヤ人」で、清濁併せ飲むような曖昧な日本人の宗教観、民族精神を「日本教徒」と呼んだ。かくいう私も典型的なその一人だ。
こうして戦争犯罪問題においても、「A級戦犯者といえども罰を受け、刑に服した者は罪を許されたもの」と考えてきた。しかし国柄の違い、直接侵略被害を被った中国人、韓国人などのこの問題への反応から察すると、その問題に対する彼らの認識や解釈は明らかに我々日本人と異なるように思われる。

そういう意味で、朝日新聞2006.04.12(水)夕刊、文化欄に掲載の(連続インタビュー)「歴史認識」に登場したワン・フイ(汪暉)さんの発言に、私はある種の衝撃を受けた。昨秋から半年間東京大学客員教授を務めたワン・フイ(汪暉)さんが、日本滞在の締めくくりとして述べた意見が朝日新聞渡辺延志記者によって紹介されていた。デリケートな問題だけに原文を忠実に紹介する。

まずワン・フイ先生はいう。
「沖縄では、戦争の記憶と、それをどう受容したかという点で、日本本土との隔たりを強く感じた。『今も戦争の陰影が生活に深く及んでいる』」
だが絶望的な状況を経験した沖縄は、罪のない被害者であり理解しやすい」。
「広島は街のあらゆる空間に原爆の記憶が刻まれていた。『大量の人命が失われた惨劇はいたたまれない。人類の悲劇だ』」
とはいえ、広島は早い時期から大陸をにらんだ軍事都市だった。『一方的な被害者の語りで伝えられると、中国人は苦慮する』」

次は靖国問題である。
中国と日本で認識が最も隔たる靖国神社。中国側の主張の背景を「…国交回復の前に、関係改善に多くの人が努力し、『戦争は日本の少数の軍国主義者に扇動されたもの』と解釈することで解決を図った。少数の軍国主義者と多数の大衆を分け、理解するという暗黙の了解の上に日中関係が保たれてきた。(この表現を私は初めて知った。如何ほどの日本人が知ることであろうか?その意味でも共通の歴史認識を得る教育が必要である)

だが、日本の政治家による度々の靖国参拝は共有されてきた了解を日本が放棄したことを示す」。「一部が扇動」「多くは被害者」という論理は有効性を失った。
中国政府も人民に対し、それなりの態度を示さなくてはいけない。簡単に折り合いがつく問題ではなくなっている…。

暗黙の了解が失われると、関係があると考えなかったかっての軍国主義と現在の日本が、簡単に結びつくようになった。土地を掘り返すと日本軍の化学兵器などが出てきて、新たな被害者が生まれている。そうした中、靖国を参拝するのだから人々は感情を害する」
外交的配慮から政治家が靖国参拝を止めたとしても、共有できる歴史認識がなければ基盤は脆弱だ、と考える。

ワン・フイ先生「歴史認識は自己をどう認識するかという問題」としたうえで、
「日本という国、社会を日本人がどう理解し、(他国からいわれるからということでなく)内側からどのように歴史を再認識するのか。そこに初めて次の暗黙の了解が生まれる」と考えている。
そのために「靖国とはどのような性格のものなのかを考えることが必要」と呼びかける。

次は中国自身の問題。先生は次のように指摘する。
中国は急速な発展で、イデオロギー、社会構造とも大きく変化している。貧富の差や地域格差、環境破壊など、発展がもたらした危機が顕在化した。
その一方で、発展、変化が周辺諸国に大きな影響を及ぼしているのに、周囲からの視点で自分を見ることができないでいる。

日中間の軋轢の背景を先生は次のように分析する。
中国の台頭で東アジアは構造が変わった。東アジアにおける日本の地位も変わった。ところが、中国、日本とも更新を迫られている自己意識を探り出せない。相互依存はこれまでになく深まっているのに、それぞれ揺れている自己意識が交錯し、かってない不安定を抱えるようになった……。

だが、事態は深刻だとは思っていないとも先生はいう。
国交回復期以来、日中の対話と交流は深まり、蓄積となっている。中国の開放性も深まった。

沖縄や広島などの戦争経験は、
日本では強烈な平和主義を生んだのに対して、
中国では民族解放、国家独立を達成した「大義の戦い」として伝えられてきた。近年は「戦争の被害者=受難の記憶」としての語りが目立つようになった。(これは) 沖縄や広島の平和主義にも通じる新たな視点だ。

共通の歴史教科書を作ろうという試みも進んでいる。歴史認識をテーマにした様々なシンポジウムに(私は)アジア各地で参加してきたが、「現実と未来の連帯を目指して、国境を越えた動きが着実に行われている」ことを実感した。
こうした地味な動きは、センセーショナルな事件とは違い、大きく報道されることはない。「それゆえ、一般には共有されにくい。長い時間が必要でしよう」と結ぶ。

渡辺記者は、「日中の外交問題という枠組みではなく、民間の交流の中で歴史認識を生み出すこと。沖縄も広島も中国国内の様々で異なった経験も、共通の空間で討議していくこと。これが今、最も必要なことだ」書いている。

以下は私の意見。ワン・フイ(汪暉)さんは恐らく親日家の学者であろう。中国が抱える国内の問題をその原因から分析し、中国自体が反省すべき点(周囲からの視点)にも正直に触れている。
薄熙来商務相の発言にも、中国が抱える統括上の政治的課題をかなり正直に表現するなど、次第に問題の本質が見えてきた。
我々も首相の靖国神社参拝問題を単に中国の内政干渉問題として捉えることなく、相互信頼に基づく真の友好関係を樹立するためにA級戦犯者を靖国神社から除外分祀することを真剣に考えるべきである。もはや靖国神社、A級戦犯者家族など強硬な反対派もわがままがいえる環境ではない。(2006.06.05)

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