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2006年7月31日

2006/07/31

57:「奇麗に」は何故「きれいく」となるのか?

 私がよく利用するバスでは、駅近くになると「○○電車次の停留所で57_oogahasu2 お乗り換え下さい」というアナウンスが流れる。私はそれを聞くたびにこの文脈はおかしいなは・がは主語に付くはず。○○電車はどのようにして何に乗り換えようというのだろうか?と笑いをこらえる。正確にいえば、「○○電車にお乗り換えの方」が主語である。日本人である私は勿論、このようなはしよった表現でも理解はできる。だが、「内なる国際化」も進む今日、町には外国人も多い。正確な日本語を学びつつある彼らは、このような表現に出遭ったときどのように感じているのだろうか?

☆ 私のような嘆きを持つ人はいないのか?とインターネットで検索(google)したら
http://www.asahi-net.or.jp/~wz4s-kikr/sititenbattou.23.htmに到達した。
日本語教師七転八倒物語-23回 (1999年 4月著者:甲斐切清子)である。詳しくはご当人のサイトを読んで欲しいが、面白い事例として少女A(日本人)の話が載っていた。原文のまま一部を引用して紹介する。

[な形容詞]を何と心得ているのか、「あのタレント、きれいくなったよね」とか「あの学校は、ゆうめいくないもん」と言うのである。こ、こ、こいつうう~。[な形容詞]の場合、「きれいなった」ではなく、「きれいなった」! 「ゆうめいない」ではなく、「ゆうめいではじゃ)ない」! だろー!
参照:(http://homepage3.nifty.com/jgrammar/ja/adjec001.htm)(2002/05/25)
に、日本語には二種類の形容詞が存在している。国文法ではそれぞれ形容詞、形容動詞と呼び、日本語教育の現場では、イ形容詞、ナ形容詞と呼ぶとある。

 私も「きれいく」に思い出がある。初めてこの言葉に出遭ったのは1990年(平成2年)7月のこと。某ラジオ局が、大阪市鶴見緑地で開催中の「国際花と緑の博覧会」会場から清掃作業に従事している若い女性の声を伝えて来た。
「私たちが会場をきれいく掃除しておくとポイッとゴミを捨てて行く人は少なくなりました」と、声を弾ませながら、全身で体験の喜びを語っていた。

アナウンサーは、「箒を持ったこともないような若い人達が会場の清掃という裏方作業に従事して、会場運営を支えてくれている」といい、彼女の喜びに共感と声援とを送っていた。その点については、私も彼女の体験はこれからの人生の貴重な財産となるに違いないと同感した。

しかし問題はその「きれいく」である。ここは当然「奇麗に」と言うべきところである。報道機関のインタービューを受けて慌てた彼女が、無意識に誤用したのではないだろうか?と当時私は善意に解釈していた。私の語彙には「きれいく」などという言葉は無かったのだ。

学生がよく用いる隠語は、仲間同士の結束を高める、仲間以外には秘密にするなどの目的で使用するもの。もし「きれいく」を学生の隠語、スラングとして使うというのならそれも良かろう。我々も学生時代に粋がってリーベ、エッセン、メッチェンなどと用いたものだ。
だがこの「きれいく」、電波に乗ることを承知で使用するのだからいわば確信犯的行動だ。私はこの表現に生理的な嫌悪感、違和感を覚える。国語の専門家でもない私は、疑問に思いつつもこの解明に自信が無く、長い間放っていた。しかしその間に我が家の孫娘も時々使うことに気がついた。

私は手元の辞書で「美しい」と「綺麗(だ)」の活用について少しばかり調べてみた。
「美しい」:形容詞:語幹は「うつくし」、連用形は「うつくしく
「綺麗だ」:形容動詞:語幹は「きれい」、連用形は「きれいに、きれいで、きれいだっ」
ここには「綺麗く」などという活用形はない。活用語尾の混用とすれば形容詞の用い方にはそれなりの難しさがあるのであろう。しかし自国語である。もっと学校教育でしっかり教えて貰いたいものだ。

 大野 晋先生の「日本語の年輪」によれば、
「綺麗」は室町時代にすでに「綺麗ずき」などと使われ、汚れのないこと、清潔なことの意味をもっていたが、今日では「美しい」に近く使われ、やがて「美しい」を追い出して、その後に坐りそうな気配を示しているそうである。
「美」を表す言葉を歴史的に見てみれば、
 クハシ(細)…奈良時代~、
 キヨラ(清)…平安時代~、
 ウツクシ(細小)…室町時代~、
 キレイ(清潔)…室町時代~
と入れ代わって来た。日本人の美の意識は善なるもの、豊かなるもの(に対して)よりも清なるもの、細かなものと同調する傾向が強いらしい。このことは中国で「美」が羊の大なるもの、「麗」が大きい角を二本つけた立派な鹿から転じたことを思うと、日本語の大きな特色といえると思うと先生は書いている。

このように見て来ると、私は、清掃担当の彼女が「美しい」という言葉でなく「綺麗」を用いたこと自体、単に「美しく保っておく」といった状態の形容ではなく、そこに動作を加味した形容動詞「奇麗に掃除しておく」の表現にしたこと。また、ウツクシからキレイへの変化の時代感覚も捕らていることを面白く感じた。

歴史的に見れば言葉は生き物として変化して来た。今後も変化して行くことは避け切れまい。こうして、中には正統派とも目される言葉も消えてゆく。その点は残念なことである。しかし目に余るものがある。

 外来語だが例えばアルバイト、本来労働、仕事、作業など正業を意味するドイツ語である。労作、研究論文、著作などは全てアルバイトである。今日、日本でこの語は全く逆の、正業につかず不定期収入を得る仕事に用いられている。ならばドイツ語では正業でないこの種の仕事を何と呼ぶのか?「ジョブ(Job)」である。では日本の、ドイツ語の先生がこのジョブを何と訳すか?語学講座のある先生は、これを「仕事、バイト」と解説した。クラウン独和辞典(三省堂)によれば
Job : (一時的な)仕事, アルバイト; アルバイトの口 とある。日本語のアルバイトも市民権を得たというところだが、ドイツ人は怒るだろうなあ。せめて専門家だけでもバイトなどと訳さないで欲しかった。私のような年令の者にとってアルバイトは重い言葉である。
あきれたことに、「アルバイト」は更に「フリーアルバイター」となり、「フリータ」と変身して来た。もうドイツ語とは無関係だと考えれば腹も立たない。

 次いで「メルヘンチック」。メルヘンは童話、童話的をメルヘンチックで表現する人も多いが、私は嫌いだ。Infoseek(楽天)マルチ辞典で「メルヘンチック」を探すと、
「ドイツ語のメルヘンと英語のチックの合成語」、[日 <ド Märchen+英-tic]: 童話的なさまとある。この語も日本では市民権を得ているように思われるが専門家の意見を伺いたいものである。
私のクラウン独和辞典には 「メルヘンハフト」:märchenhaft〈形〉  童話の[ような], 架空の. この世のものとは思えないほど[素晴らしい美しい], とても信じられない という言葉がある。これが童話的の最適の訳語であるかどうかは知らないが、恐らく日本では定着しないであろう。何故なら馴染みが無く夢も感じられないからだ。結果として、メルヘンチックを容認せざるを得ないか?とも。

例示した外来語の問題点は、本論ではない。問題は日本語の誤用の問題だ。正しい日本語を使用するためには何が大事か?

親が正しい日本語を話していれば子に正しく伝わる。それが母語(マザータング)である。「きれいく」に限らず、「すごい→すごくの活用」も出来ない子どもなど、昔はいなかった。はなくとも、「語感」の違和感で親はすぐ注意したものである。

勿論今日、社会的責任も大きい。低俗な番組が害毒を流す。社会も親も学校も一体となって努力しなければ改善は難しかろう。しかし言葉については先ず親全体が頑張ることである(2006.07.31)

大野晋「日本語の年輪」 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%91%E5%96%EC+%90W%81u%93%FA%96%7B%8C%EA%82%CC%94N%97%D6%81v&lr=lang_ja

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