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2006年8月15日

2006/08/15

59:「イザヤ・ベンダサン」のこと

1995年の6月頃、私はユダヤ問題について「随想」を書いた。その際次に59040607 示す数冊の本を読んだ。その中の一冊、イザヤ・ベンダサンの著書は出版直後に一回目を読み、名著として感激した思い出もある。近々、ユダヤ問題の「随想」をアップロードしたいと考え、これらの参考本の現状を調べたところ、イザヤ・ベンダサン著作本はその後評価が微妙に変わっていたことを知った。そのことが私の「随想」の賞味期限にも微妙な陰を落とすことになるかも知れないのだが…。

 ◆ラビ・M・トケイヤー:「ユダヤ格言集」三笠書房、1994.12.1O第1刷
 ◆J・P.サルトル「ユダヤ人」岩波新書、1994.9.16.第58刷
 ◆土井敏邦:「アメリカのユダヤ人」岩波新書、1994.11.4.第10刷
 ◆イザヤ・ベンダサン:「日本人とユダヤ人」角川文庫、1973.7.10. 37版発行
 ◆H.G.ウエルズ:「世界史概観・上」岩波新書、1988.9.5.第29刷
 ◆世界大百科事典Vol.14,27,29「ユダヤ人、ユダヤ教、民族、人種」平凡社

「随想」のアップロードは次回に譲るとして今日は、問題の一冊、1970年発行のイザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』(山本書店)について触れたい。単行本・文庫本を合わせて300万部を超える大ベストセラーとなったこの本に一体何が起こっていたのか。
出版当時からイザヤ・ベンダサンとは何者か?という疑問が囁かれていた。著者の経歴や写真は一切なく、文中、わずかに「私はユダヤ人であるから」という表現があった。この本の著者は今日、出版社山本書店の山本七平氏を含む共同執筆者のペンネームであるともされている。しかし、同書は英訳もされており、それを読んだ欧米人には、「著者が現代社会で生きるユダヤ人ではあり得ないことは一目瞭然である」などという評価もあったという。

私がこの本で惹かれたところはどこか?私にはとうとうと流れる「ユダヤ文明」の紹介、ユダヤ人の生活習慣を「比較文化」の視点から解説したところ。対比的に述べた日本文化の歴史的、文化的解釈の確かさ。文脈も用語も素直、なめらかで難しい外国語からの翻訳本とは思われない読み易さと判り易さがあり、文章には私好みの適度な潤いもあった。著者は果たしてユダヤ人であろうか?という疑問も当然湧く。しかし、私のようにキリスト教の知識・教養もない人間は著者の宗教観、教養、洞察力、考察力に感心するばかり。批判的に読む目も余裕もなく、その後浅見定雄氏に指摘されたという宗教上の解釈誤りなどに、全く気が付かなかった。

では今日の私の評価はどうか?内容の信憑性にやや不安感を持っている。ただ、今日も私はこの本を批判的に読み解く力はなく、あるがままに受け取らざるを得ない。ただ、著者のモラルについては一言いいたい。

この書は小説などの散文作品ではない。著者の、「私はユダヤ人であるから…」云々が全くのウソであれば、ユダヤ人を騙り著作の評価を高める意志と取られても言い訳出来まい。読者はユダヤ人の文明批判・比較文化論として読み取るのであり、私はこの種の「かたり」を許す気になれない。
散文、殊に小説、戯曲の類であればペンネームでも良い。読者はストーリーの構成やトリックの巧みさを楽しみ、犯人捜しに没頭する。ペンネームの場合、新聞等で執筆者を明らかにしており、実際上の問題は殆どないのだ。

しかし歴史物、ドキュメンタリ物では、その時点で確認されている史実が骨格となって構成されている筈であり、読者は内容を知識として吸収し、蓄積する。したがってこの種の文明批判・比較文化論をペンネームで書くことは無責任の誹りを免れまい。この意味で私は、イザヤ・ベンダサンがペンネームであるとすれば許されるべきではない。

このあたりの詳細については、専門家、碩学の徒になる後記のサイトに詳しく解明されている。
その一つ、『ウィキペディア(Wikipedia)』山本七平には、
「…山本自身がこのあたりの事実関係を隠蔽しようという意図をあまり抱いていなかったという証言も多い。これは彼がクリスチャンである為であろう。
日本人が外国人であると偽り、読者に対して自らの主張に重みを増すような行為は週刊新潮のヤン・デンマンや週刊ダイヤモンドのポール・ボネなどに影響を与えたとされ、彼の決して褒められない手法が蔓延する契機となった事実は重い」と、書いており、私も同感である。

著者が仮名、偽名、ペンネームなどを使う場合の可否について述べたい。日頃私は、自分の意見や主張を述べた新聞記事には署名を付して欲しいと希望している。
その立場からいえば、インターネットのホームページやBlogといえども、意見や主張を述べる内容のものであれば、一介の市井人であっても仮名、偽名、ペンネーム、ハンドルネーム、ニックネームで発表することは無責任に過ぎないか?というためらいがある。
だが、識者の多くは、「個人を特定出来る情報、住所や本名などはリスクを避けるために、むやみに公開してはならない」と主張する。

ではどこで線引きするか?新聞や出版図書のように有料のものであれば署名は当然である。Blogやホームページは一般に無料であれば、ハンドルネームやニックネームが許されてもよかろうとは、私の都合の良い解釈である
とはいえ、公序良俗を乱すような内容や誹謗中傷の書き込みが許される筈はない。その点については私も日頃自戒・反省に努めているつもりである。(2006.08.15)

★出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』山本七平

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%83%E5%B9%B3

★極東ブログ  2004.09 山本七平参考資料
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/09/part_1.html

★出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』浅見定雄

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%A6%8B%E5%AE%9A%E9%9B%84

★浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫、1986年)紹介
①:http://www6.plala.or.jp/Djehuti/446.htm
②:http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060320001204/index.html

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