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2006/11/09

62:いじめ問題の背景と遠因

62blog061109 死を以ていじめに抗議する青少年の訴えが続く。責任を回避する教師達の醜い姿や、機能していない教育委員会組織も暴露されている。「死を以て」抗議するという行為はそれがたとえ異常な心理状態でなされたとしても、我々が容易に出来る決断ではない。それほど異常・重大な決断である。もはや精神的・肉体的虐待があったとか無かったとかの次元の問題ではない。親も教師達もこの青少年の「死の抗議」の責任を真っ正面から受け止め無ければならないが、しかしこのことは単に教育界の問題ではあるまい。

彼らをそこまで追い込んだ背景は何か?一寸酷ないい方になるが、私は最近の青少年にひ弱さがあるのではないか?と思うことがある。その原因についても考えねばなるまい。

もう一点は、米国の戦後占領政策も含め、「実験の場」とも言える大人社会の諸制度の変動、文明の進展などが、新鮮な頭脳を持つ青少年に悪影響を与え、彼らはその犠牲となっているのではないかという危惧である。

彼らは私の少年期に比べて羨ましい程多くの知識・情報・商品・貨幣を持ち、欲しいものを容易に入手出来る豊かな生活環境にある。しかしこの環境こそが、自力で挑戦して目的を達成するという「ハングリー精神」を阻み、意欲や向上心を育て切れず、ひ弱さを残す原因となったのではないか。

昭和初期生まれの私は次のような環境下で育った。
 どこの家庭も兄弟姉妹が多く子ども同士の競争やいざこざは日常のことであり、家庭にありながら子どもは自然な形で競争社会に組み込まれ、精神的タフさが養成されて行った。
 日本社会は生活水準の低い貧しい時代であり、ことに戦時下という条件も加わり物質的、文化的困窮の時代であり、この環境に耐える精神力、克己心が自然と醸成されて行った。
 我々は時に蔭で先生を綽名(あだな)で呼ぶことはあっても、先生はあくまで尊敬、敬愛の対象であり、また先生自体、師表に立つという矜持を持つ存在であった。
 マスコミは成熟せず、競争社会を助長する教育産業もなかった。インターネット、ケータイというような個人単位の情報交流手段はなく、情報は先生、親、先輩、友人、兄弟から入手し、知識は主として活字文化(図書)から吸収するという社会システムであった。今日、識者が指摘するような「マスコミの報道過剰が悲劇を誘発する」、「小説、ドラマ、映画、インターネットなどから悪質な知識、テクニックを教わる」などのことは無かった。

  小学校には修身という徳目(忠、孝、仁、義、礼、智、信など)教育があった。儒教を基本とした祖先崇拝、長幼の序、忠孝の思想などを教わる過程で、おのずから善悪判断のバランス感覚が身に付いて行った。

 塾や家庭教師など学業を支援する組織は殆どなく、学業の達成や就職の目標達成はあくまで個人の努力で得るものであったが、先輩あるいは兄、姉など身近な存在に目標を置く場合も多く、彼らもまた、支援、援助を惜しまなかった。

私は1941年から1945年まで、今の中・高生生活を送っていた。太平洋戦争(*1)の真っ直中であり、15才からの2年間は学業を離れて軍需工場に配属され、航空機部品を削っていた。

当時、農家の担い手の多くが戦場に兵士として送り出され農村の食糧生産能力は極度に低下し、米穀類は政府管理下で配給となり胃袋を満たすことは出来なかった。紙・パルプ生産も低下し、知のエネルギーともいうべき活字文化(図書、雑誌、新聞)にも飢えるばかり。情報・娯楽源といえばNHKのラジオと多少のレコードのみ。映画や演劇はまさに風前のともしびであり勿論学生が自由に出入りできる環境ではなかった。冷暖房設備といえば当時クーラーは一般家庭に無く、冬期の暖房は僅かな薪炭に頼るのみ。暑さ、寒さへの不満は、戦地の兵士の苦労を想起して辛抱するように諭された。我々の忍耐力や根性はこうして育って行った。私はこういう時代を美化しているものではない。私が育った時代背景を説明しているだけである。

そういう時代にも「いじめ」は存在し、私はその犠牲者の一人だった。人間が動物である以上、縄張りを主張して争い、群れの長となって力を誇示する。この種の行動は動物の本能であり、未来永劫この地球上から消え去ることは無いだろう。
私は同じ方向に帰る3人の友人に種々の悪戯をされた。ことに学期末には成績通知票を取り上げられるという不愉快な出来事もあった。

しかし、いじめられるにはそれなりの理由がある。私の場合体質虚弱で腕力が無く、体操と軍事訓練(教練)が下手でからかいや、いたずらの対象になりやすかった。彼らより成績が少し良かったことから妬みの対象にもなった。だが死にたいと思うことなど全く無かった。彼らの深層心理の中に上記項の徳目教育が生きていたのであろう。いじめ自体が今日ほど陰湿ではなく凶悪でもなかったため、親の力を借るという発想にまでは至らなかった。
      
実は私は戦後すぐの頃、ある授業で「3S政策(*2)は国を滅ぼす」と教わった。3Sとはスポーツ、スクリーン、セックスの頭文字であった。当時私はこの言葉の内容を十分に理解せず、その影響の重大性、波及性にも思い至らなかった。しかしその後の世情を見るに付け、あの指摘が正しかったのではないかと時折私の脳裏をかすめた。このブログを書くに際して、「…国を滅ぼす」という下りが気になって「3S政策」を検索しそこに安岡正篤先生(*2,3)の一文を見出した。

「3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策である」とあった。
60年前、3S政策を批判した私の先生の卓見と共に、安岡正篤先生の慧眼に同感するところがあったので、このブログの最後に引用させて貰った。

私は、3S政策の普及浸透が今日、我が国を滅ぼす程の教育・社会荒廃の遠因となったのではないか?と感じている。しかし、3S政策類似の現象はすでに米国始め世界の各地に見られる現象で、遅かれ早かれそれらの負の側面を吸収したはずだとも考えられる。

また、3S政策の他、我が国は戦後アメリカから到来した「消費社会」の黒船にも見舞われる。多くの利便性を享受した反面、徳目を教わらなかった日本国民に多くの悪習慣を残す。ごみ問題など地球環境の汚染という負の遺産にいま漸く反省期を迎え対策が進展してもいる。

新たな黒船として「グローバル社会の出現」はまさに壮大な実験として展開中であり、識者の危険性、弊害指摘も多い。「グローバル化」の美名のもとに、のたうつ恐竜のように変態する世界規模の新制度、新事業、新業態、新思潮、新製品。それらの、子どもや大人に及ぼす影響や危険性についてのアセスメント(事前評価)は恐らくなされていないに等しいのではなかろうか。

最後に私が「成長型文化」と命名した文化の影響も指摘したい。
本来文化は「循環性(周期性)を特徴」とし、人間に深刻な弊害を及ぼす程の力を持っていなかったが、今日、「科学・技術発展の成果と結びついて変容する文化(これを私は成長型文化と命名)」も誕生し、人間の精神面、肉体面に予測出来ない刺激、影響、弊害を及ぼしてはいるではないか?と思われる。

社会の少子化に伴い「無菌室育ち」ともいうべき抵抗力の弱い青少年が誕生していることも事実であろうし、「いじめ」自体もいまや単純な本能型から高度化・複雑化した「成長型文化」へと変容しつつあると思われる。

日本人にとって「いじめ」の悲劇は、戦後に徳目教育を受けず、宗教も持たないという特殊性によってエースカレートしているように思われる。米国における「いじめ」の実態を私は知らないが、恐らくキリスト教精神を人間行動のバックボーンとして持ち、いじめ問題においても、どこかで踏みとどまる良心を有しているのではなかろうかと考えている。

問題の解決策は何か?
実験社会から生み出される…制度、政策、新技術、新製品のすべて、さらには流行などの発信文化のすべて…において、「評価制度」を確立して人間と人間社会に及ぼす弊害の有無を早期に検証し、早めの対策を実行することによって、背景、遠因と言われる要素の根を断ち切ることであろう。(
2006.11.09)

参考資料:
*1:太平洋戦争(たいへいようせんそう、英:Pacific War)出典: ウィキペディア
第二次世界大戦の内1941年12月8日(大本営発表日)から1945年8月15日の玉音放送(停戦)を経て、9月2日に降伏調印の期間における、大日本帝国と、主にアメリカ・イギリス・オランダなど連合国との戦争の呼称の一つである。もともと太平洋戦争とはアメリカを始めとする、連合国側での呼称であった(アメリカでは、ただ単に、‘The War:例の戦争’と呼ぶ事が多かった)。当時の日本では日中戦争を支那事変と呼ぶともに大東亜戦争と呼称していた。

*2:3S政策
アメリカの占領政策ー3R、5D、3S政策
この欠陥(昭和の教育が知識、技術に偏り人間学の教育が無かった)が終戦後また現れまして、占領軍の日本統治に対して対応する仕方を全く誤りました。占領軍は、むしろ日本を非常に買かぶっておりましたから、いかにこれをアメリカナイズするかということにたいへん研究を積んでおります。このアメリカのGHQの対日政策というものは実に巧妙なものでありました。

この政策に巧妙な解説がありますが、たとえば3R、5D、3S政策というものです。
これについて、私に初めて説明した人の名前を今、記憶しないんですが、当時GHQにおりました参事官でガーディナーという、ちょっと東洋流の豪傑のようなところもある人物からも直接聞いたことがあります。それによると、3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策です。

3Rの第一は復讐(Revenge)です。アメリカ軍は生々しい戦場から日本に乗り込んだばかりで復讐心に燃えていたので無理もありませんが、復讐が第一でした。第二は改組(Reform)。日本の従来のあらゆる組織を抜本的に組み替える。第三は復活(Revive)で、改革したうえで復活、つまり独立させてやる、抹殺してしまうのは非人道的だからというわけですが、この点、日本はアメリカが占領軍で有難かったわけですー共産国だとどうなったかしれません。

5Dの第一は武装解除(Disarmament)、第二は軍国主義の排除(Demilitalization)、第三は工業生産力の破壊(Disindustrialization)で、軍国主義を支えた産業力を打ち壊すというもの。第四は中心勢力の解体(Decentralization)で、行政的に内務省を潰してしまう。警察も国家警察も地方警察とに分解する。そして財界では、三井総元方あるいは住友、三菱の総本社を分解する、つまり財閥解体です。第五は民主化(Democratization)で、日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除してアメリカ的に民主化する。そのためにはまず日本帝国憲法を廃棄して天皇を元首から引き降ろし、新憲法を制定してこれを象徴にする。皇室、国家と緊密な関係にあった神道を国家から切り離す、国旗の掲揚は禁止する。教育勅語も廃止する。これにはかなり抵抗がありましたけれども、GHQのひとにらみで駄目になってしまった。
新憲法も、あれを受け入れるならば、「日本が独立の暁には、この憲法は効力を自然に失う」という付則をつけておくべきであったが、そういうことも何もしていない。ドイツなどは、それをちゃんとやったのです。これをやらなかった日本は、本当に間抜けというか、意気地なしというか・・・、そしてアメリカ流のデモクラシーに則って諸制度を急につくり上げてこれを施行したわけです。これが5D政策です。

それを円滑あるいは活発に行わしめる補助政策として3S政策があった。第一のSは、セックスの解放、第二のSがスクリーン、つまり映画・テレビというものを活用する。それだけでは民族のバイタリティ、活力、活気を発揮することがないから、かえって危ない。そこで精力をスポーツに転ずる。これはうんとやらせる。スポーツの奨励ーこれが第三のS。これらを、3Rの基本原則と、具体的な5D政策の潤滑油政策として奨励した。なるほど、これはうまい政策でありまして、非常に要を得ておる。これを3R、5D、3S政策というわけです。

こうした占領政策を施行された時に、日本人は堂々と振る舞うと思ったのですが、案に相違して、我も我もとGHQ参りを始めました。特に公職追放が行われてから後は、表向きの人々はGHQ様々で唯々諾々として「命これを奉ずる」という有様でした。そこへゆくと、同じ敗戦国でもドイツ人は違っていました。彼らは、なにしろ昔から勝ったり負けたり繰り返してきているから、たまたま負けても動ずるところがない。ですから、占領軍が命令しても悪いことは堂々と拒否する。日本人は唯々諾々、直立して「イエス・サー」と言うからイエスマンといわれたが、ドイツ人はこういうふうですからNein Mensch No Manです。占領軍は、だから、初めは日本人を可愛がり、ドイツ人を憎みましたが、しばらくすると、「日本人はつまらぬ、骨がない」と軽蔑し、逆にドイツ人は「しっかりしとる」と褒めるようになったのです。

日本を全く骨抜きにするこの3R、5D、3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいはこれに乗じて野心家が輩出してきた。日教組というものがその代表的ものであります。そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の 廃、こういったものは皆、この政策から生まれたわけです。

今日の日本の堕落、荒廃、意気地のなさ、こういう有様は昨日今日のことではない。非常に長い由来・因縁があることを考えないと、これを直すことははできません。
皆さんが今後起こってくる諸般の問題をお考えになるのには、目先の問題をとらえた流行の皮相な理論では駄目でありまして、先程申したように、少なくとも明治以来の思考三原則によって徹底した考察をなさらないと正解を得られない。したがって、今後の真剣な対策も立たないということを私は信ずるのであります」
出典:http://www.ta-da.net/i/3r5d3s.html 
「昭和の吉田松陰と言われる安岡正篤先生の著書「運命を作る」より

*3安岡正篤:ウイキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4

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コメント

だいぶ前のことですが、ボクのブログにコメントしていただき有難うございました。

 大塚国際美術館ですが、多分、写真撮影はOKだと思います。

 美術館内は職員の数が少なく、結構写真取ってる人もいました。

 返事が遅くなって申し訳ありません。今頃コメントに気づき返事させていただきました。

 またお暇な時にボクのブログでも覗いてやってください。

投稿: Nero | 2007/08/27 00:46

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