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2007年10月3日

2007/10/03

63:「日本人の無口は、内気か?プライドか?」(ジュネーヴからチューリッヒへの旅から)

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今年は猛暑のせいか、彼岸花の開花が遅れていた。紅、白並べて植え付けている庭先の彼岸花のうち、白が漸く昨日から、そして待望の紅が今日咲いた。一方、時計草は6月の「時の記念日」の頃から咲き始め今日もまだ咲き続けている。これも異常気象のせいだろうか? 

 スイスのジュネーヴからチューリッヒに向かうインターシティ(国際列車)に乗り込んだ1985年6月のことだ。さてどこに席をとろうかと車内を一瞥した時、車両の中央あたりに日本人らしい男性客を見かけた。少しためらったのち、「隣席に座ってもよいか?」と私は声をかけた。これからチューリッヒまで共に過ごしたいと考えたのはこのがら空きの車内で、バラバラに座って約3時間もの退屈な時間を過ごすのは苦痛であり、滑稽でもあると考えたからである。
しかし返ってきた言葉は中国語らしかった。私は全く解らなかったので、一礼して通り過ぎ、進行方向右手の窓側に座った。 

 海外旅行中、日本人同士が出会っても目をそらしてしまう人が多いようだ。これは何か?日本人の内気さなのか?あるいはプライドのためだろうか?と思ったことがある。
元来私は隣席の人が外国人であろうと誰であろとあまり気にはしないし、言葉の障碍さえなければなるべくお話したいと思う方である。だが、残念ながら外国人の場合、こと志のようには行かないし、一般論としては、行きずりの人間同士のふれあいにはリスクもあり、賢明な人の沈黙は「金」かも知れない。

 大分以前に読んだ上智大学渡部昇一先生の「エジンバラ通信(週刊誌に連載)」に
「あれほどプライドが高く、滅多に口を利かなかったイギリス人が、列車の中などで気軽に話かけてくる」とあった。…それと比較して「日本では新幹線の中などで隣席の人と肩が触れ合う程でもめったに口を利く人はいない。GNPの増大がプライドとなり、プライドが人間を無口にする…」といったような内容の、イギリス留学(研究休暇)中の体験が随想として述べられていたように記憶している。ここに何か、ヒントがあるように思われる。

 話は代わるが、私の属しているあるグループのパーティに出席したときのこと。早めに会場に入ったために結局日頃から良く知っている友人や知人の隣席に座り込み、新しい友人作りができなかったことがある。だが仕事の都合でぎりぎりに出席したために、数少ない残り席に着き、その隣席に素晴らしい未知の友人を得た場合もあった。
パーティーは共通の目的を持った人々の集まりであり、「本来パーティーとは未知の人同士が知り合うためのもの」とも言われていれば積極的に話しかけるべきであろうが、初対面の人と話題の波形や波長を重ね合わせることには気苦労もある。しかし時に共通の友人が話題に上がったりしてこの世の中、小説もどきの偶然と面白みもある。640

 ジュネーヴを出発したインターシティはまもなく右側にレマン湖を眺めることになる。列車は徐々に登り坂にさしかかり、なだらかに湖面まで続く緑のスロープが美しい。その所々に村落が点在し、赤い尖塔を持つ教会も見える。ふと目を中天に移すと、棚引いた白い雲の上に白銀の峰々が顔を出している。あれがかのモンブランか、マッターホルンか或いはユングフラウか?と目を凝らし想像を巡らす。こうして、カレンダーで目にするスイスの名山が次々と車窓から飛び込んでくる。この雄大な景観に思わず息を飲むと表現したいところだが飲みっぱなしには出来ない美しさの連続である。ジュネーブからチューリッヒまでの移動を列車にしようか、空の旅にしようかと迷ったとき、列車を薦めてくれた友人に感謝したところだ。

 自然の美しさの効用は、今様にいえば「癒される」ということだろう。ではスイスの美しさはどのようにして維持されているのか?聞けばスイスの最初の「環境保全法」は1876年に遡るという。そういった長年の努力なしに今日の美しいスイスは存在しないだろうし、自然とはいうものの、もはや人手のかかった「文化」というべきである。北海道にはこの風景に似た美しい自然があるが、「手つかずの自然」ということではないだろうか?
他方、本州の景観は何だ!と言いたい。山麓も、田園地帯も市街地も、文明という名の作為が広告や電柱、鉄塔、或いはネオンサインとなって自然を汚している。街並みのビルや家屋も、その雑多な色遣いや形状には「調和」という美学がない。私には満身創痍の自然のすすり泣きが聞こえる。

 さて、私の隣席にどんな美人が現れたか?確かローザンヌあたりから大勢の人が乗り込み、隣には頬髭を蓄えたジュネーヴ大学の物理学専攻の学生フィリップが、その向かい側が彼の友人、私の向かいには中学生位の可憐な女子学生が席に着いた。男子学生はこれからチューリッヒの女友達を尋ね、金曜日の夜を過ごすと言っていた。

 御存じのようにスイスには四つの言語、フランス語、ドイツ語、イタリー語、ロマンシュ語があり、単純には区分できないが、ジュネーヴから彼が乗り込んで来たローザンヌあたりまでが主としてフランス語圏、スイス住民の約18%を占める言語だ。そして目的地のチューリッヒは代表的ドイツ語圏、この言葉はスイス住民の65%を占めるという。そういった言語環境に生まれ育った彼らには使い分けの苦労もなかろうが、私のようにフランス語は全く駄目、英語もドイツ語も単語少々人間にとってここらあたりでの会話は大変であった。
ただ幸いに、私には日本でもよく知られたウド・ユルゲンス作曲の「Was ich dir sagen will」、日本名「別れの朝(作詞、なかにし礼)」があった。思わせ振りな題名と粋な歌詞がついている。私はこの曲を口ずさんで彼らに私の気持ちを伝える。
原詩の、内気な男の独白が私の気持ちにぴったりだ。
「私があなたに伝えたいこと、それはとても難しい。私の前のレターペーパーはいつまでも白いままで残っている。私は言葉が見つからない。でも信じておくれ、私が君に言いたいこと、それは私のピアノが語るから」…と。
私は「ピアノの代わりに目で君に気持ちを伝えたい」などと冗談を言っている内に列車はチューリッヒの駅に滑り込んだ。
明日はいよいよ日本に向けて出発する。スイス最後の夜をこの地の日本料理店で味わおうと私はタクシーを拾ってSへと急いだ。(原文:1992(H04)08)2007.10.03

  作詞 Joachim Fuchsberger
                Was Ich Dir Sagen Will
       Was ich dir sagen will, fällt mir so schwer,
       Das Blatt Papier von mir bleibt weiß und  leer.
       Ich find' die Worte nicht,  doch glaube mir:
       Was ich dir sagen will, sagt mein Klavier.  (1番のみ、以下省略)
作曲  Udo  Jürgens

以下は、林 久博 氏執筆、(2004年博士課程修了、名古屋大学文学部ドイツ文学研究室)のHPから引用させてもっらいました。
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~deutsch/student/literatur/popmusik.de.htm
ドイツ・シュラーガー(歌謡曲)界の重鎮的存在、ウド・ユルゲンス。1934年生まれ。日本でも1971年に「夕映えのふたり」(原題:Was ich dir sagen will)がヒットし、中高年層では名の知られた歌手です。…)この曲はその後さらに、ペドロ&カプリシャス(高橋真梨子がかつて所属していたバンド)が「別れの朝」というタイトルで日本語版を歌ってヒットしました。なかにし礼の作詞です。以上

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