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2008年10月28日

2008/10/28

No.79:私の雑感、ドラマ「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」を見て

「歴史に『もし』はない」と言われる。戦陣訓(*1)で洗脳された黒木軍曹と、もし出会わなかったら大脱走事件はあるいは発生せず、終戦時に全員無事帰国出来たかも知れない…。                                                                   Map
また、このドラマの元となっている事件は公知ではないとしても幾たびかマスコミに取り上げられている。そういう話題を何故いま取り上げたのか?という疑問もわく。                                                         
このドラマ(*2)は、オーストラリア・カウラ捕虜収容所で1944年(昭和19年)8月5日発生した大脱走事件を素材とした脚本家中園ミホさんの作品を、「日本テレビ開局55年記念スペシャルドラマ」として、この夏(2008年7月8日)テレビ放映したものである。中園ミホさんの大叔父佐藤憲司氏(現・87歳)のカウラ捕虜収容所体験談がこのドラマ誕生のきっかけとなったという。

陸軍を掌握してきた東条英機陸相が「軍人勅諭」の実践を目的にその具体的な行動規範として昭和16年(1941)1月8日公布したのが「戦陣訓」であるという。その第八の「名を惜しむ」に、
「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。軍人は、捕虜となって生き恥をさらすな!その際は自ら死を選べ!…と説く。

カウラ事件(*3)は日本人捕虜(一般人を含む)1104人中、死亡231名、看守死亡4名、合計235名の犠牲者を出した大脱走事件である。
ドラマのイントロによればこの事件はオーストラリアではよく知られた有名な事件であるが、日本の歴史教科書には登場しない。理由は、事件当時日本政府は「日本軍に捕虜はいない」として隠蔽したことによるという。

あらすじ:                                  
「昭和19年1月、『夏9853部隊(正式名歩兵第141連隊)』に所属する朝倉憲一兵長(小泉孝太郎)は上官の嘉納二郎伍長(大泉洋)と共にニューブリテン島で連合国軍と戦っていた。悪化する戦況。食糧も尽き、仲間ともはぐれ、何十日もひたすら逃げ続けるしか出来なかった2人の前にある日、連合国軍の海兵隊が現れた。……そうしてたどり着いたカウラ第12捕虜収容所。

そこで憲一は思いもよらぬ光景を目の当たりにする。ヒューマニズム(人道主義)と言うべきであろう、収容所では、"傷病者の状態改善に関する赤十字条約(ジュネーブ条約)を日本人にも適用していた。しかし日本人捕虜はジュネーヴ条約の条文を理解しておらず、また当時の、日本軍・日本人社会の ”生きて虜囚の辱めを受けず” という考え方や、欧米やオーストラリアの”国を代表して全力で戦った名誉ある捕虜” という認識との相違により、オーストラリア人と日本人捕虜との間ではコミュニケーションがあまりとられなかった。
作業はトマトやブドウの栽培、薪のための伐採といった農業を行っていた。
警備は緩く、オーストラリア軍は負傷者・栄養失調者などを含む捕虜に、手厚い看護・介護を施した。
レクリエーション活動は、日本人は野球、相撲、麻雀などが自由に許されていた。

こうして遊びに興じる日本人捕虜たち。そこには十分な食事、十分すぎる自由があった」。
「捕虜に身をやつした自分がこの体たらくで良いのか。生き恥をさらしながらおめおめと生きていていいのか、それとも潔く自決すべきなのか…」
答えのない自問自答を繰り返す憲一だったが、数ヶ月前までの激戦が嘘のように、ただただのどかな時間が流れてゆくのだった。

そこにある日、黒木軍曹(阿部サダヲ)たちが新たに捕虜としてやって来る。
「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」。……平和な日々のなかで憲一たちが忘れかけていた、あの「戦陣訓」を声高に叫ぶ黒木たち。
こうしてドラマは「このまま捕虜として収容所で生きることが許されるのか?」と自問を繰り返す憲一と、「生きて日本に帰ろうと決意」した二郎との意見対立が続く。
結局、強硬派の意見に押し切られ1944年8月(終戦約1年前)、ナイフとフォークを武器として反乱を起こすという筋書きであった。

事件発生当時、両国は次の理由からこの事件を秘密にしたという。
:オーストラリア政府は、カウラ事件を極秘情報として公にはしなかった。日本政府に日本兵捕虜の多数の死を知られた場合、日本によるオーストラリア兵捕虜への報復的危険性を考慮した結果であるという。私は、ヒューマニズムの立場から捕虜収容所におけるこの種の事件を不祥事、不名誉な事件として国際的に内密にしたかったのではなかろうか?と思う。
②:日本政府はカウラ事件の発生を確認していたが、日本兵捕虜の存在自体を否定しており、戦時中にこの事件を公表することはなかったという。

戦後この事件は少しずつ知られてゆく。私の知る2,3の情報を列記したい。195265
①:伊藤伸平著「旅大陸オーストラリア(1998 2.13初版)」(*4)。私は2003年、オーストラリア観光旅行の準備として、たまたまこの本を読み不幸で痛ましい事件を知る。
このブログのNo.4「もう一度あなたに会いたい(2005.04.16)」で、私はカウラ事件に触れて次のように書いた。
「第二次世界大戦の緒戦、日本軍は南方海域の前線基地からダーウイン、ブルーム、ニューキャッスルの各市街地を砲撃・爆撃して被害を与える。シドニー湾に侵入しては軍施設を攻撃する。こうして両国関係は決定的に悪化した。
他方、オーストラリア政府がカウラに建設した日本兵捕虜収容所では、『生きて虜囚の辱めを受けず…』の教えからか、捕虜将兵の大脱走事件が発生し、200余名が落命する。遺骨は今日、日本人戦没者墓地に埋葬されているという。胸痛むこれらの事実を、私はこの度初めて知った」。

②:『生きて虜囚の辱めを受けず カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱走』(*5)。4327165
2005年8月、NHKはオーストラリア人ジャーナリスト ハリー・ゴードン著「生きて虜囚の辱めを受けず」山田真美訳(1995年11月30日発行)をベースとしてドキュメンタリー番組を製作・放映したという。残念ながら私はそれを見ていない。

③:2,3年前の終戦記念日番組の中で私は、カウラ生還元兵士が重い口を開いて捕虜脱走事件の概要を語るのを聞いた記憶がある。

以上のほか、Webには今日カウラ事件関係の情報が溢れている。そんな状況の中で日本テレビは何故この時期に新しいドラマを放映したのだろうか?だが、このドラマの良さは事件を単なるドキュメントとして客観視するのではなく、自分がもしその現場に居合わせたとしたら、どんな決断をしたであろうか?と考えさせる点であろう。

事件後64年も経って我々はこの事件を詳細に知ることになる。
とはいいよう、「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」というドラマの表題自体、如何にも軽薄である。「トイレットペーパー」という表現は、捕虜収容所から脱走するかどうかの「賛否」を問う時にトイレットペーパーを用いたという事情があったというが、命をトイレットペーパにたとえることは不謹慎である(たとえるなら鴻毛)。
命の軽さが「あの日、僕らの命は」の表現も独善的である。戦争末期、制空権を無くした日本の空にはアメリカのグラマン戦闘機?が、B-29重爆撃機が飛来する。ブス、ブスと地面を突き刺す不気味な機銃掃射音や焼夷弾、爆弾の落下音がいまも耳に残る。敵機はさながら跳梁跋扈、死は我々の隣にあった。

ヒューマニズムには多くの定義、解釈があるが、最もオーソドックスには上記の「人道主義」である。
その他、ヒューマニズムには「人間性を称揚し、さまざまな束縛や抑圧による非人間的状態から人間の解放を目指す思想(デジタル大辞泉)」という解釈もある。
この伝でいえば、動物的欲望に発する生への執着、欲望、狡猾さ、醜悪さ、堕落などの全てが究極の人間性の発露であり、許容され開放されねばならないものになる。

収容所には虐待や処刑の不安はなく、食事も娯楽も十分に与えられ平穏無事の生活が続く。次第に人間的欲望が増大し、生への執着が強まる。人道的優遇は精神的開放にもつながり次第に環境に溺れて行く。己の不甲斐なさ、制御できない己への嫌悪感も高まる。こうして捕虜は恐らく「名誉をたたえる戦陣訓に走るか」と「生への執着にこだわるヒューマニズム」との狭間で苦悩することになる。

カウラ収容所に入所する際彼らは偽名を使ったという。本名で捕虜となることは名誉心、廉恥心から許されなかったのであろう。犠牲者の墓碑銘も当然のことながら偽名となったという。

ではカウラの事件は起こるべくして起こったと考えるべきだろうか?第二次世界大戦中の日本人捕虜数(*6)は、諸外国に比べて少なかったとはいえ約21万人に及ぶという。その彼らが戦陣訓に忠実に、名を惜しみ、恥を知って叛乱や脱走を試みればもっと多くの悲劇が生まれたであろう。だが現実には類似の事件を聞かない。恐らく特異、特例の事件と考えるべきであろう。
ではその特異性とは何か?オーストラリアという文明国の収容所で優遇を受けたこと、捕虜となった時期が友軍が苦戦していた戦時中であったことが大きい原因と思われる。

脱走事件で生き残ったカウラの元捕虜兵は終戦で無事帰国することが出来た。しかし彼らは自らの体験を心の中に封印して戦後の60数年を生きて来た。封印せざるを得なかった理由を推量するに、
共に叛乱を起こしながら生き残ったこと。
オーストラリアという文明国の収容所でヒューマニズムに徹した優遇を受けたこと。
③「名を惜しみ、恥を知る戦陣訓」と「生への執着にこだわるヒューマニズム」との狭間で苦悩したこと。
これら体験の真実を率直に告白できなかったことではなかったろうか。

なお、何故いまこのドラマが生まれたか?恐らく、事件の本質を語るべき元捕虜兵の高齢化問題があり、日本テレビ開局55年記念の「今」しかないとの判断ではなかろうか。
(2008.10.28)

参考
(*1)「戦陣訓」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%99%A3%E8%A8%93

(*2)「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」
http://www.ntv.co.jp/cowra/

(*3)カウラ事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

(*4)伊藤伸平著「旅大陸オーストラリア」凱風社、1998 2.13 初版第一刷

(*5)「生きて虜囚の辱めを受けず」
NHKが放映したこのドキュメンタリーは書名「生きて虜囚の辱めを受けず」を元にしたもの。著者:オーストラリア人ジャーナリスト ハリー・ゴードン、訳者:山田真美、清流出版、発行日:1995.11.30
訳者山田真美氏が立案・制作協力したドキュメンタリー番組「カウラの大脱走」は
2005年8月4日(木)20:00~21:50 NHKハイビジョン(110分完全版)で放送、
同8月12日(金)22:10~23:00  NHKBS-1(50分ダイジェスト版)放送、
同9月4日(日)17:00~17:54 NHK総合(50分ダイジェスト版)で放送という。

(*6)第二次世界大戦中の日本人捕虜数
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E8%99%9C

第二次世界大戦主要国別捕虜数        Photo
ドイツ   9,451,000人
フランス  5,893,000人
イタリア  4,906,000人
イギリス  1,811,000人
ポーランド  780,000人
ユーゴスラビア  682,000人
ベルギー  590,000人
フランス植民地  525,000人
オーストラリア  480,000人
アメリカ合衆国  477,000人
オランダ  289,000人
ソビエト連邦  215,000人
日本      208,000人

(*7)カウラ地図
オーストラリア発見から借用
http://www.discover.australia.or.jp/chapter04/002.html

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