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2012/09/28

No.89 安岡正篤先生の思い出…胆識について

あえて安岡先生と呼ばせて頂くが先生の業績、人脈に関する情報はインターネットの世界に満載されており、私が解説する必要はないが、大方の人が知っていると思われることは元号「平成」の名付け親ということ。年配の方は終戦時、昭和天皇自身によるラジオ放送の終戦の詔書発表(玉音放送)に加筆し原稿を完成させたことから皇室からも厚い信頼を受けた人ということではなかろうか。

大阪府出身の陽明学者・思想家・教育者。多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番として知られる人物であり、安岡先生を師と仰いだ政治家には「吉田茂」「池田勇人」「佐藤栄作」「福田赳夫」「大平正芳」など歴代の首相も名を連ねているという。

あえて私がここに取り上げた理由は先日私のブログ「硬骨ウント恍惚」(No.87)の中で一寸触れたが、私の父は我々子供にとって思い出になる「歌集(短歌)」を残してくれた。私はその歌集を以前入念に読んだところ、そこに二つの発見があった。
  ①:第二芸術への言及
  ②:安岡先生への私淑、思慕の歌

「一時、第二芸術論(ブログNo.10記載)が台頭した。尤も之は最初主として俳句に対する議論であったが短歌も一時之に巻き込まれようとした。しかし今日ではもはや問題外である。日本語の持つ美の極致は叙情にせよ、叙景にせよ、短歌の中にのみ発見することが出来るということに結論されて来た。また国文学者の間に於いても、従来の考証学という様な固い殻を脱却して現代に立脚した研究に移行して来たことも注目すべき現象であろう」と。

第二は、父がかねて私淑して来た安岡正篤先生とある日、感激の対面を果たしたこと。恐らく先生の九州講演旅行の際の、出会いのひとこまであろう。その感激が短歌雑誌「ひのくに」に残っている。題もそのまま「安岡先生」である。
  日頃わが慕える人はまのあたり 颯爽として壇に立たしし
  感激に人は生きよと獅子吼する 君はまことに世の力なる

  
明治31年生まれの先生、明治29年生まれの父。年齢を超え、ところを超え父が人生の師として尊敬した先生、恐らく昭和10年頃の作品と思われるが、その思いが直に私に伝わって来る。約40年後、奇しくも私もまた、先生に私淑することになる。父はあの世から「お前も一首読んでみよ」と言うかも知れないが、不肖の子にそんな芸はない。

安岡先生には政界だけでなく、財界にも多くの心酔者があり、三菱グループ・近鉄グループ・住友グループ・東京電力など、多くの財界人をも指南しておられたという。こうして関西企業の従業員であった私も「関西師友会」、「師と友」と言った小冊子を通し、また直接先生の講話を聞く機会を持つことになる。

ある日先生はいう。「人間の判断には知識も見識も要る。しかし胆識無しに大事は成せない」と。胆識とは実行力を伴う見識のようである。 (平成24年9月28日 2012.09.28)

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コメント

ブログの内容を拝読させていたいただきました。
正岡先生の件は、高名な方であることはよく分かります。
今の貴台の御心境 と なぜ今なのかが難しくて分かりません。
お父様の老境でのご心境を振り返る、お気持ちでしょうか。
それとも、正岡先生のご足跡を何か思っておられるのでしょうか。

自分ご自身との関係でのご感想でしょうか。
ご意見を聞きたいものです。

もしできれば、お元気で頻繫な「更新」を期待します。

投稿: 山口宗之 | 2012/11/02 11:00

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