« No.85:パウル・ベッカー(*)のこと(大阪 大英博物館展を見て) | トップページ | No.87 ブログ「硬骨ウント恍惚」を私は何故書き始めたか »

2012/09/17

No.86 「鈴木秀夫氏と森本哲郎氏の文明論を読んで」 文系著作物の優先性(権)は何を以て立証するか?

P1100598_2

A紙夕刊「惜別」欄で、地理学者東京大学名誉教授、鈴木秀夫氏 の業績と人柄を読んだ。(平成23年2月11日死去、惜別は平成23年4月30日土曜日、3版6頁記載)先生は東京大学理学部地学科地理学専攻である。
私は先生の業績概要を読んだとき、評論家森本哲郎氏の業績と余りにも類似していることに驚くと共にこのようなことが存在することにも驚く。

理工系の学術論文であれば関連学会での研究発表日がその優先性を立証する。最近では関連学会などの電子版への登録日時がその優先性を立証するもののようでもある。東北大学の西澤工学部長、のち総長によれば、(以前は)優先性が問題になったとき「研究ノート(大学ノート)」のメモなど、時系列に記録、作成されたものが優先性を主張したという。しかし昨今では大学ノートなどの出番はなく、記録は全てパソコン内にある。その種のデータでは優先性を立証することは困難であろう。

「惜別」欄の担当記者は、森本哲郎氏の業績を知らなかったのではと一瞬疑ったが森本哲郎氏はもともとA紙にも在職の先輩であり、そのような理由ではあるまい。
文系著作物の、優先性(権)の評価が困難な理由は恐らく次の様な理由によるものではなかろうか。
①文系著作物では理工系程、正確・厳密に相違点を明確化できないのではなかろうか。
②鈴木先生は地理学専攻、森本哲郎氏は哲学専攻の評論家であれば、発表の場が相違したのではなかろうか
③文系では業績発表の場が、学会などではなく出版という形式が多いのではなかろうか。その場合、理工系ほど日時に神経質ではなく、また、相互に著作物・出版情報が把握出来ていないのではなかろうか。

私は森本哲郎氏の著書「そして文明は歩む」を新潮文庫本(平成2年10月25日発行)で読んだ。原著書は昭和55年(1980)11月、新潮社から刊行されたとなっている。恐らくここらあたりに、この論文の誕生日があると考えられる。

私は、森本哲郎氏の「そして文明は歩む」から私の歴史観の根底ともなる知識を学んだ。そこには
「一神教は砂漠に生まれた。ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、みな砂漠が故郷なのである。一神教と砂漠とは、切り離せぬ絆で結ばれているといってもいい。なぜなのであろうか。長いあいだ私にはそれが不思議でならなかった。しかし、幾度か砂漠に身を置いてみて、私はそれが何となくわかるような気がしてきた。一神教を風土に結びつけて説明することには異論もあるようだが、何度かの砂漠体験によって、いよいよその確信を深めたのである…。

他方鈴木先生の業績については「惜別」によれば、広く読まれた「森林の思考・砂漠の思考」で(先生)は宗教も論じた。「森林の中では、道に迷っても、いつの間にか元に戻る。唯一の正解はなく、多神教が生まれたと考えた。道に迷えば死が待つ「砂漠」で、二者択一で直線的な世界観の一神教ができたとした。(A紙の惜別欄記者によれば1978年の仕事という)

私はいつの頃からか一神教について次の様に理解する様になっていった。「砂漠は大海原に等しい。一人の優秀な航海案内人無しには渡れない。死が待っている。.こうして砂漠地区では一神教(優秀な航海案内人)が誕生した」と。)

森本哲郎氏の著書(「そして文明は歩む」の奥付解説で、木村尚三郎先生は「森本哲郎さんは歩く哲学者である。異国の地を歩きながら考え、考えながら歩き、自ら壮大な文明論を築き上げることの出来る、生きた哲学者である。…」と書いている。

文系著作物の優先性(権)或いは「オリジナリティー」はどのようにして立証されているのか?そのことについて、理工系人間の私が拘るほど、厳密に問題とする必要はないのであろうか?      2012.09.17

|

« No.85:パウル・ベッカー(*)のこと(大阪 大英博物館展を見て) | トップページ | No.87 ブログ「硬骨ウント恍惚」を私は何故書き始めたか »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/24683/55680351

この記事へのトラックバック一覧です: No.86 「鈴木秀夫氏と森本哲郎氏の文明論を読んで」 文系著作物の優先性(権)は何を以て立証するか?:

« No.85:パウル・ベッカー(*)のこと(大阪 大英博物館展を見て) | トップページ | No.87 ブログ「硬骨ウント恍惚」を私は何故書き始めたか »